先のエントリ「何を切る」というタイトルは、ただの一視聴者として、ちと不遜であるかと反省。
1月経過したので、だいたい視聴ルーチンも安定してきた。
“先期は偶然チェックしたものに当たりが多かった”ので、今期は状況の許す限り初回をチェックしてみよう、という方針は正解だった。おかげで以下の作品がルーチン入りした。
みなみけ
原作未読。しょっぱなの印象は、「これも日常萌え系かあ」だったのだが、絵の感じと独特のテンポでついつい2話目もチェックして、もうルーチン入り決定。キャラのデザインと絵作りがなんか心地よい。“スケッチブック”のような、いかにもコミックをアニメ化した、という作風と随分異なるのは原作のトーンの違いなのかな。
原作未読のせいで、特に先入観なく作品に接することができたのがよかったのかもしれない。
なんかまあ、特に力を入れずに観られる作品の優先順位が高くなっている。癒し系強しというところか
もやしもん
原作未読だったが、CONTINUEなどのアニメ誌でなんとなく雰囲気はつかんでいた。第1話視聴後、かみさんが原作買ってきて、第2話視聴までには原作読了。
原作に忠実な設定・展開である。
“おお振り”と同様、原作ではキャラがちょっと固くて、また書き分け(特に女性)に難があるのだが、アニメではきっちりキャラが設定されており声優さんの腕もあり、それぞれの存在感がしっかりしている。
特筆すべきは菌たちが実に愛嬌があること。
今クール我が家全員が気に入っていて、とにかくオリゼーが大人気。
OPのCG、EDのクレイアニメ、どっちの菌たちもとってもかわいい。
ぬいぐるみ付第6巻予約しちゃったよ。
しおんの王
この作品については、女流将棋マンガが原作ということは知っていた。
クオリティは・・・・・・さておき、原作知らなかったもので、ミステリ展開に興味が残りまだ視聴継続。
ただ、この番組、何故か時間変更のデータリンクに失敗して録画失敗が多い(すでに2回)。話繋がらなくなったらギブアップするかな。
あと、今更ながらコードギアスも再放送をフォロー中。評判に違わず面白いなあ。
日曜日, 11月 04, 2007
何を観る(2)
土曜日, 11月 03, 2007
’07年上半期アニメ視聴総括
もう11月になってしまったが、上半期のアニメを総括しておこう。
ベスト3は「おおきく振りかぶって」「精霊の守り人」「ラブ☆コン」だ。
他にも楽しんだ作品はいくつかあるのだが、限定された時間内で、選ぶとすればどれか、という観点で、これら3つが抜きんでていた。
1.おおきく振りかぶって
1週間のうちで、なんといってもこれが楽しみだった。夜遅いのもあいまって、何度ナマで観たことか。(^^; 上記3本の中からさらに1本選ぶとしたら、やはりこれである。
放送開始時のエントリで、真っ先にその出来を絶賛したが、最後までその評価は変わらなかった。
まあ、第2話でちょっと、「あれ?」っとなったことはあったが、結局そこはたいしたことなくて、それ以降は没問題だ。
本当に、これほどまでに原作に忠実で、しかも原作で表現しきれないかった部分までをアニメとして構成し、そしてなんと言っても最後まで、次の週が楽しみでワクワクしてた、というのは久しぶりの体験である。
さらに、このアニメは業界内部でも注目度が高かったようで一般アニメ誌からクリエーター関係誌、そして制作サイドブログと色々と情報が出ており、制作の裏側がわかって非常に面白かった。
これらの記事を読んであらためて、この作品の作りこみの凄さを知ることができた。
一口に「原作に忠実な面白さ」といっても、アニメとしてそれを実現するには、実に色々な項目をクリアしなければならないのだな、ということが改めてわかる。
原作者からスタッフの皆さんまで、楽しいアニメを送り出してくれて本当にありがとう。
原作が全然貯まってないのでいつになるかはわからないが、続きが本当に楽しみな作品である。
2.精霊の守り人
「読んでから観るか、観てから読むか」、というのは角川映画/文庫でのメディアミックス路線の先駆けとなる名コピーであるが、私は断然、原作派である。
そして、最近のドラマやアニメなどは放映にあわせて原作本もずらっと本屋にならぶので、
・初回/番宣をみる
⇒面白いかな
⇒原作チェック
⇒以降、いかに原作を料理してくるかに注目
となることが多い。
この「精霊の守り人」についても、アニメ視聴開始からそれほど間をおかずに原作文庫本を手に入れた。で、何度か原作を読んでしまおうかと思ったのだが、アニメが進むほどに、「この作品はアニメで構築された世界観で最後まで観ておきたい」という思いが強まってきてしまった。それほどアニメ版はそれ自体で見事に完成されていたのだ。
もちろん怒涛の終盤に至って、原作を読みたーいという欲求も限界に来ていたので、最大の山場を終えたアニメ最終話のひとつ前視聴後、原作を一気に読了し、心静かに最終回を迎える、という流れになった。
結果的には原作を読まないでおいたのは正解であった。物語の基本骨格はほぼ原作通りなのであるが、終盤に至るまでの肉付けと人物像の掘り下げ方は、それはそれは緻密であり、数々のオリジナルエピソードも物語全体の奥行きと広がりを豊かにしており、仮に、原作者が脚本を担当したのだ、と言われたら、疑いもなく信じてしまっただろう。それほどの出来だと思う。
もし、原作を読んでしまったならば、「ほお、こんなエピソードで掘り下げに来たか」とかついつい演出の出来という目で話を捉えてしまったであろう。このようなアニメに出会ってしまうと今後は原作チェックの是非についても判断に迷うことになるな。
もちろん原作も非常に面白く語るべきことが多々あるのだが、これについてエントリを改めよう。
これだけ絶賛しておきながら、なぜ「おお振り」についで第2位か?、と思われるであろう。
客観的には作品としての評価は、多分ほとんどの面でこちらが上である。
が、それゆえにこの作品に向き合うには、こちら側にもそれなりの力の入れ具合が必要であり、まあ、前半はその余裕がちょっとなかったというわけで、ようするに私のヘタレ故、第2位ということである。
BS放送だったため観ていない人もまだいるだろう。
再放送がBS2で11月5日深夜から始まる(毎週2話)
このエントリをこの時期にあわてて起こしたのも、一人でも多くの人に、精霊の守り人を見てほしいからだ。日本人が日本人として満喫できる数少ないファンタジーの傑作であることは間違いない。
是非ごらんあれ。
3.ラブ☆コン
これ完全ノーマークだった。
番組改変期でTBS土曜6時枠が30分繰り上がった時のタイマー設定がそのままだったので、たまたまレコーダーに残っていたのをチェックしたのが始まり。
最初は
「関西弁がちょっと不自然かなぁ」 とか
「少女マンガのデザインをそのままキャラに起こした感じだな」 とか
「そこまで慢符多用したらアニメじゃなくて動く紙芝居になっちゃうぞ」
などと思ってたのだが、第1話終わるまでには、そのテンポと掛け合いの間の良さで家族で爆笑しながら楽しんでたよ。特に、カミさんが女子高生の微妙な心理のアヤのところに「でしょ」とフォローをいれ、大谷の鈍感さ加減に「あー、これだから男子は」っと突っ込みをいれ、そのとばっちりを私が喰らうという流れができるにあたっては、完全に家族用コンテンツになったしまったのであった。
その後、カミさんの大谷への突っ込みと、そのとばっちりは、当然のことながら、息子どもへとシフトしたのだが。
序盤のテンポの早さも特筆すべきところだ。だいたい、いまだかつて前半1クールでバレンタインを2回もこなすなんて構成あり得ただろうか。で、後半は3学年目をじっくりと描きつつ、イベント満載でダレさせない。見事である。最後まで楽しませてもらった。
第1回で、全く関心なかった我が家をがっちりつかんだこのアニメ、演出・構成の出来もさることながら、小泉役の岡村明美のキャラによるところが大きいと思う。
ワンピースのナミ役でアイデンティファイされているのだが、考えてみると、ナミも小泉リサも、このキャラにマッチする声優さんというのは、あんまり思いあたらない。
仮にあの人なら、いや、あの人ならなどと考えてみたものの、
元気があって、時にしおらしく、けど真っ直ぐに図太くて、はじけることもできるが、キれていない、
などというのは難しいよね。最初関西弁にちょっと違和感があったのだが、すぐに勢いで気にならなくなった。声優さんの適応力って凄い。キャスティングディレクターの力量も凄いということになるのだろうな。
月曜日, 10月 08, 2007
何を切る?(’07/10月期 ~)
HDDデッキ新規投入をいいことに、テレビ欄で見かけたアニメ新番組を片っ端から録画してたりする。
上期では、たまたま録画してたのが当たりだったり(ラブ・コン、精霊の守り人、クレイモア)、評判を知るのが遅れてフォローし切れなかったのがあったり(黒の契約者)したので、今期は、まあ、どこまでフォローできるかわからんがとりあえずディスクの容量が許す限りチェックしてみようと思ったわけで。
基本方針は「スルー」。予備知識はほとんどなしなので、まあ大半は予約をはずせるであろう、
さて。
・バンブーブレード
女子高生の剣道部の話ね。OPがまだ未完成だったり、カメラワークがもひとつだったり、まあちょっとひねったスポーツものかな程度。 これは以後スルーできるな・・・・・
・・・・・・・・と、思ったら最後にタマちゃん覚醒の引き。
ううううう、定番すぎるが、それゆえに鉄板の引きだ。
負けた。2話目も付き合おう。
べ、べつにタマちゃん萌えとか、そうゆうんじゃないからねっ (って誰に言い訳してんだ)
・スケッチブック
美術部を舞台とした、まったり系か。4コマが原作なのかな。
まあ、この手のはがんばってフォローしなくてもいいか。たまたまテレビつけたらやってた、というタイミングで観ればいいよな・・・・・・・
・・・・・・・・と、思ったらなにげに九州弁が。
ううううう、地方を問わず、お国ことばがポロッと出てくるのって、かなりツボなんだなあ。
その中で九州方面は特にいい。 しょうがないあなあ、継続かあ
・素敵探偵ラビリンス
何というかタイトルからしてスルーでOKそう。ま、一話ぐらいは観ておくか・・・・・・・・・
・・・・・・・・んんっ? 大地震で崩壊して遺棄された東京が舞台とな。 いわゆる終末ものとかザ・デイ・アフター系の設定はちと捨てがたい。くぅ、これもまだ切れない。
・しゅごキャラ
キャラのギャップに悩む女子高生が主人公か。ちょっと面白そうかも・・・・・・・・
・・・・あ、これ魔法少女ものだったのか。よかったあ、これでなんとかパスする自分的口実ができたわ。
考えてみたらアニメを観ない理由って、時間的制約以外には、そんなにないな。
こんな調子じゃ全然切れないがな。
#まだ半分も観れてない。まだスタートしてないのものあるというのに・・・・
今クール、外画は完全にギブだ。
ブログ紹介バックアップ(07/7~)
ブログ紹介を変更したのでバックアップ(’07年7月~)と
読書やTV・映画関係についての雑記です。「牛に願いを」は結局途中でパス。モラトリアムっている若者達の成長を順番に描いていきつつ、農村が抱える問題を合わせて提示していこうという意図だったのであろうが、ドラマとしてのストーリーに広がりが感じられなくて、ギブ。
今クール(7月~)チェック予定は「牛に願いを」(フジ 火曜日10時から)
メインの「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメ映像分析なのだが、当分はドラマ・アニメを中心に色々と雑文を。なんだかんだいっても「らき☆すた」しっかりとフォロー中。じわじわと面白くなってきた。
あとドラマは「受験の神様」もフォローしてたのだが、HDDビデオクラッシュで途中まで。再放送あるかなぁ。
らき☆すたは最後までフォロー。それなりにハマったといえよう。原作全部買ったし。DVDはかろうじて我慢できた。 そういえば地デジ対応デッキ買ったから“らき☆すたを愛すようになったか”の記事は半分ぐらい実現したことになる。
土曜日, 10月 06, 2007
アニメ:CLANNAD第1話
CLANNAD第1話。
結構期待している。予備知識ほぼゼロ。
泣きゲー原作ということは知っているが、ゲームはやったことないし、Air,Kanonといった京アニ先行作品も観たことない。
ハルヒにハマってからアニメ視聴頻度が激増したのだが、ついつい「なるほど、こんな演出もあるのか」といった感じで、アニメの作り方に気が行ってしまいがちになってしまっている。
これはいくない。
もうちょっと素直に作品に向き合ってアニメを楽しむ姿勢を取り戻さなくては。
そうゆう訳で、まっさら状態で視聴するCLANADを楽しみにしていたところの第1回。
ほうほうサクラ散る中のセピアオープニングからカラーへの転換でボーイミーツガール
・・・・・・って、ハルヒと似てるぞ。
おお、その窓際の座席はキョンの後ろだぞ、
望遠構図を揺らすのは、
屋上への視点は、
そのフォーカスは、、
って、
もっと素直に作品を鑑賞しろぉ >自分
いやね、放送第2話「憂鬱Ⅰ」は、ほんと、DVDが擦り切れるほど繰り返し観たのね、「見た目のカメラワーク」関係のエントリ、その他のために。 であるからこそ、今回のCLANAD第1話であらためてわかった。
「憂鬱Ⅰ」は、実に石原監督のスタイルど真ん中であったのだ。
と、同時に今回は、その自分のスタイルを真っ直ぐに、奇をてらうことなく前面に出していくような意志を感じたよ。
今後がほんとに楽しみである。
あと、エンディングの歌とアニメが、すっごく良かった。 みんなの歌みたいな感じなんだけどね。
たぶん、この作品は家族がテーマなんだろう。きっと話が進むにつれてさらに心に染みてくるエンディングになりそうだ。
木曜日, 10月 04, 2007
Don’t Panic
あれれぇ なんでかアクセス数の履歴がリセットされてる・・・・・・・・んじゃない!!
10/3のアクセス数が桁違いでこれまでの履歴がほとんどゴミのようなんだわ。
#1日ちょっとのアクセス数で、これまでの月間ページビューの記録を軽々とオーバー
「今日の早川さんの胸元」の記事に本家COCOさんとこから直リンクがあったため。
母数の違いにただ圧倒
トラックバックもしてなかったのに見つけてくれてたんですね。COCO さんから直接コメントもらえるとはありがたいこってす。
うれしい以前あたふたしてしまいまいしたよ。書きっぱなしで、誤字・文体その他諸々ほったらかしだしぃ。
ううう、こんなことになるんだったら、もうちょっと、ちゃんとネタの裏とっとくんだった。
coco's bloblog
あと、帆掛けさんが食べてるキングバーガーのロゴが19であるとか、コカ・コーラがノッズ・ア・ラになってるところに気づいて欲しかったけど、別に大した意味はないからいいや。あ”ーっ。見落としてた。つい胸元にばかり目がいってしまって・・・・・・・・不覚。
あわてて調べました。(という時点で、まだまだ未熟)
p.52 ノッズ・ア・ラ 帆掛さんが飲んでるキングバーガーのコーラのブランドNod's A-la 元ネタはNozz a-la スティーブン・キングのダークタワー他で登場するコーラのブランド。キングダム・ホスピタルでも出てくる(らしい)
なんとWEBサイトまである。Nozz-a-la キングのファンがつくったサイトのようである。
ロストペディアというTVシリーズ「LOST」のWEB辞書に解説あり
キングバーガーのロゴが19、というのはわからんかった。キング関係だとは思うのだけど。
#精進がたりん。ホラー系は観たいのだけど怖がりなもんで・・・・・・・
日曜日, 9月 16, 2007
らき☆すたのカメラワーク
18話、この回で日下部みさおがはじめて登場するカット
このカットでは、“つかさがかがみに教科書を借りにきているところ” を眺めているみさお、という構図がつくられている。
ここで、みさおのセリフは全く無く、会話はつかさとかがみのものだけ。しかも二人は手前にいるため画面を広く占有している。ということは、下手をすると視聴者にこのカットは柊姉妹の会話がメインという印象を与えかねない。
それを回避するために細かい工夫がいくつか組み合わせれている。
・日下部の目線描写
教室につかさが入ってきたところ、ふたりの会話中の瞬き、教室を出るつかさを追う目線、これらが、はっきりと描かれている。観客は役者の目の動きに敏感に反応するため、自然に日下部に注意がいくことになる。
・フォーカス
日下部に焦点があっているのは、まあ当然であるが、柊姉妹へのフォーカスのはずして具合が絶妙。これ以上ボカしてしまうと、日下部がなにげなく聴いているという印象からかけ離れてしまう。
視聴者の認識力を信用した上での演出であろう。
・フレームアウト
つかさは目鼻から上がフレームアウトしており、座っているかがみも頭が少し外に出ている。ふたりをフレーム内にきっちり収めないことによって、ふたりがこのカットの主体ではないことを印象づけている。
特に、なるほどと思ったのは下方向の画面の切り方。
画面が、かがみの胸のあたりで切られているため、かがみが教科書をかばんから取り出す動きをする一連の動きにおいても、脇で切れたり、腕の一部がきれたりと、常に安定の悪い構図となっている。
手前で大きな面積を占めているという状態を、逆に構図として収まりが悪いというようになるように、うまい具合にレイアウトをしているわけだ。
・モブがシンプル
同じ様に背景位置にいる日下部との差異を明確にしている。
などなど。丁寧な仕事だなあとつくづく感心。
らき☆すた21話 鴨川の風景
時期をちょっと逸しており、かつ、本筋とはあまり関係ないのですが、
修学旅行のエピソードで懐かしい京都の風景がでてきたので一言。
初恋の夢破れたかがみが眺めている鴨川の風景。
カップルが点々とならんでいます。
この光景、
「鴨川の等差数列」
と呼ばれておりました。
いや、本当に見事なまでに等間隔なんですよ。
上のカットだと3組しか描写されてないのでそれほどでもないのですが、3条から4条にかけてそれはもう目盛りをうったのではないかというぐらいの綺麗な等間隔。
日中から夕方、夜にかけてカップルの数はそれなりに増減するのですが、一時的な間隔の乱れはいつのまにか修正されてしまいます。
まあこれは、個々のカップルが両隣のカップルからできるだけ距離をとろうとする意志と補正行為が強力に働いているから、それと、カップル以外の進入を跳ね除けるATフィールドのごとき心理バリアが形成されているから、ということが容易に推定されます。
それにしても、時刻・曜日・季節にかかわらず等間隔を自律的に維持する様はやはり壮観でして、ある意味ソーシャルダイナミクスの完璧な具現例として、その内側に入れない観察者に対してトラウマ寸前の印象を残しているわけですよ。
そんな懐かしくも切ない思い出。 けっ。
#追記:話数間違えてたので修正
日曜日, 9月 09, 2007
「今日の早川さん」たちの胸元
今日の早川さん
Tシャツとかにも小ネタが散りばめられているのでチェックしてみた。
結局胸元以外もピックアップしてしまったのだが。
#ううむ、結構ヒットしないのがあるなあ。まだまだ未熟だ....
WEB版にもネタがまだあるし、全面的に描き直しているのでロゴが違ってたりするのね。
気がつき次第、随時追記する
追加:p.52 Nod's A-la Cocoさんからのコメントで追加。見落としてたぁ 不覚。
修正:p.19 1984 Gray-ruさんの指摘で修正。完全に記憶間違い。
追記:p.23 Asiamoth Cocoさんのファンのハンドルネームでした。帆掛さんファン冥利ですね。
人物の空欄は早川さん
ロゴ | 人物 | ページ | コメント |
DON'T PANIC | 表紙 | 銀河ヒッチハイクガイド(の表紙)だった(^ ^; ちなみにWEB版での早川さん初登場時のTシャツも色は違うけどこのロゴ。魚の柄も入っているがこれは同シリーズの『さようなら、今まで魚をありがとう』を意識してるんだろうか。 | |
KILLER QUEEN | 岩 | 中表紙 | QUEENの代表曲だけど他にもありそう。 WEB版では「オペラ座の夜」のジャケット絵っぽいのもあった。 |
MOTHER NATURE | 岩 | 3 | ビートルズなら ・・・'s SON なんだけど |
CAN | 9 | 特定できず。ドイツのバンドもある。 | |
VALIS ※ | 11 | ディック。一部隠れているが、まあこれだろう | |
TITTY TWISTER | 岩 | 12 | TITTY TWISTER (おっぱいぐるぐる って感じ?)ってスゴく岩波さん向けのロゴだな、と思ったらそうゆうお店があるのね・・・ 追記:タランティーノの「フロム・ダスク・ティル・ドーン」に出てくる酒場だった。 本家cocoさんとこでちゃんと解説あったがな 書籍版のデザインはWEB版よりだいぶ洗練されてるな。 |
Ring World | 12 | ニーブン | |
BOMB! | 他 | 13 | (妄想の)乗客、帽子のロゴ |
TWIN PEAKS | 岩 | 14.15 | いかにも岩波さん向けの・・・(r デビッド・リンチ |
COUNT ZERO | 14 | ギブスン | |
TIME | 17 | あのTIMEか? | |
SAND WORM | 18 | DUNE。絵がシンプルすぎ w ナマコみたいで、これはこれでいいなあ | |
1984 | 19 | いいかげんな記憶で書いたもんで間違ってました。昔読んだのになぁ 「オー」しか合ってない(^^; オールディスは「地球の長い午後」のほうでした。 ちなみにEurythmicsがこの映画のサントラに参加してて「Sex Crime(1984)」というタイトルの曲を歌っていたな。 VanHalenのアルバムタイトルでもある。 この辺、たぶん早川/帆掛さん(Cocoさん?)的にど真ん中ではないかと思う。 | |
3057 (帽子) | 20 | 株式会社ゼットンの証券コード ・・・・って名前は気になるがこれは関係ないな。 | |
ASIA MOTH | 帆 | 23 | ?モスラじゃないよね? asiamothさんというCocoさん(帆掛さん)ファンのハンドルネームでした。 07/04/05のエントリでのCocoさんの、 asiamothさん:いつも帆掛さんを愛でていただきありがとうございます。そのうち何かサービスさせていただきますね(謎というのが予告だったのですね。 うらやましい。(富士見さん希望と書いておく) |
52nd ST | 32 | ビリー・ジョエルかな | |
NYPD | 他 | 34,36 ,38 | 早川さんが一目ぼれの青年。 PDしか見えないから他のとこかもしれん。LVPDならCSIのファンかも。 |
DUNE | 40 | 帽子。前出のSAND WORMはTシャツだから組み合わせはありえないか。 | |
BLUE SKY ... | 富 | 42 | もっと長いようだが思い当たるものがない |
SPEED QUEEN | 岩 | 45 | ?? |
SUGER BULLET | 富 | 46 | アーティストかな? 最初、延流が着てるから“砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない”かと思ったのだが、これのサブタイトルは' A Lollypop or A Bullet' だった |
cyberdyne | 国 | 50 | ターミネーターおよびスカイネットを作った会社(Cyberdyne Systems)。ドライヤーも作ってたのか。 なんと筑波にほんとにある会社だ。しかもHAL(ロボットスーツ)を作ってたりする。 |
FOX | 岩 | 51 | “狼”と対にしただけだと思うが。。。。 しっぽが可愛いロゴだな。 もしかしたらFoxyかもしんない。Foxy≒Sexyだし |
Nod's A-la | 帆 | 52 | ノッズ・ア・ラ 帆掛さんがのむキングバーガーのコーラのブランドNod's A-la 元ネタはNozz a-la スティーブン・キングのダークタワー他で登場するコーラのブランド。キングダム・ホスピタルでも出てくる(らしい) なんとWEBサイトまである。Nozz-a-la キングのファンがつくったサイトのようである。 ロストペディアというTVシリーズ「LOST」のWEB辞書に解説あり キングバーガーのロゴが19、というのはわからんかった。キング関係だとは思うのだけど。 |
GENESIS | 57 | プログレバンドのほうでしょう。 岩波さんが着てたら創世記のほうかもしれんが。 | |
SOLO(M ... ?) | 59 | SOLOMONかなぁ? SO LONGとか | |
SEX DRUG ROCK'N ROLL | 岩 | 66 | GUNS N’ ROSES かな? ガンズのほうにはSEX N' DRUG N' ....と間にN' が入る |
NYPD | 岩 | 69 | ニューヨーク市警察:New York City Police Department 岩波さん、海外ドラマも観るのかな。 |
KISS | 富 | 73 | このロゴはバンドのKISSだ。 ジーンシモンズだけがショウビズ界で活躍中みたい |
The Smiths | 74 | イギリスのバンド。古っ。。。。 | |
THE THE | 富 | 74 | こっちもイギリスのバンド。古っ...くない? 今世紀になっても続いてたんか。知らなんだ。 |
ROXY MUSIC | 77 | ブライアンフェリー。なんかバンド名が続くなあ。 | |
THE OUTER LIMITS | 79 | SFテレビシリーズ。THE TWILIGHT ZONEと双璧 | |
SIGN | 富 | 82 | ?シャラマンの映画かと思ったが、あっちはsignsだった。 アイスランドのバンドかもしれないが、ちょっとロゴが違うなあ |
SHRIKE | 95 | ハイペリオンの・・・・・(実は読んでないので良く知らない) | |
STACY | 帆 | 99 | 女子高生ゾンビ純愛スプラッタファンタジー。なんじゃそりゃ。 大槻ケンヂ原作 |
RED | 富 | 裏表紙 | キングクリムゾン? テッド・デッカー? Communardsのは持ってるのだが。 |
#岩波さんのは、やはりその胸に相応しいものばかりであった (w
火曜日, 9月 04, 2007
グラスホッパー(伊坂幸太郎)
グラスホッパー(伊坂幸太郎)
映画化もされた「陽気なギャングが地球を回す」が面白かったのと、ちょっと変わったプロットに惹かれて購入。
「陽気な…」は周到な伏線がパタパタと収束していく様が小気味良く一気に楽しめた。その続編の「陽気なギャングの日常と襲撃」も同様の展開であった。
まあ、よくもここまできっちりと伏線を回収するもんだな、と感心したよ。
ふふん、だがしかぁし、“周到な伏線をきっちり回収”という作風はそれ自体が大きなヒントかつネタばれなのだよ。
なになに、この「グラスホッパー」とは、復讐が横取りに、プロの殺し屋同士の争いだとな。
伊坂くん、君の手口はエブリシング、まるっとお見通しだぁ。
どれどれ、お手並み拝見・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・ぇえっ?
・・うわぁ、やられた。
なるほど、そうきたか。
従来以上にきっちり伏線を回収しているのに、完全に意表をつかれてしまった。
ううむ、全くアンフェアでないし、むしろオーソドックスなやり口ですらあるのに、しっかりはめられたぜ。またそれも心地いいのだが。
伊坂幸太郎は、まだ読んでない作品いっぱいあるので当分楽しめそうだな。
#未読者への注意。この本の解説はネタばれ注意。解説者(杉江松恋)は、ぼかしたつもりかも知れないけど、この中のある記述は重大なヒントになり上記のサプライズが台無しになる。
せっかく、作者が巧みにカモフラージュしているところなのになあ。そうゆうわけで気をつけましょう。
月曜日, 8月 20, 2007
映画:「夜のピクニック」 原作イメージを見事に映画化
「夜のピクニック」の原作は第2回本屋大賞受賞作であり、詳細については改めて説明するまでないだろう。24時間かけて80キロを歩くという「歩行祭」を舞台にした青春ドラマを描いたものである。
正直言ってこの映画、表面的な演出はすべりまくっている。
カメラワークは説明過剰だし、ギャグやコメディはベタベタでグダグダであり、挿入されるサブエピソードもメインプロットとうまく絡んでこない。
おそらくは、製作サイドが、特に大きな山場のない原作ストーリー(だからといって面白くないわけでは全然ないのだが)に映画的メリハリをつける、とか、青春モノとしてのお約束のパターンを入れよう、とかして結局滑ってしまった、という、よくある失敗パターンの典型のような気がする。
が、しかしこの映画はやはり佳作として評価されるべきものだと思うのだ。
それは、この映画では、歩行祭という非日常的なイベントの空気感が、フィルムの隅々にまで刻みこまれているから。この点につきる。
特に大きな山場がないというのは原作でも同様なのだが、それは歩行祭というイベントそのものが物語の主体であるためだ。
丸一日かけて長距離をひたすら歩くという極限状態の中では、日常の外面は脆くも剥がれて真に近い人間性見えてくるのであろう。この作品では、そのような極限の状況下で展開する、主人公達の精神的な葛藤と、“あるわだかまり”の解消、が実にうまく描けているのである。
表面的な演出がことごとく滑っているにも関わらずこの映画が原作の空気感を見事に表現できた要因のひとつはキャスティングであろう。
主役の多部未華子は言うに及ばず、石田卓也(時かけの千昭のCVだ)、西原亜希(JR東のSuicaキャンペーン)、加藤ローザは本当に原作のイメージにマッチしている。郭智博(戸田忍 役)だけは原作のイメージ(時かけの浩介みたいな感じ)とちょっと違ったが、映画的には石田とのバランスがうまくとれていたと思う。キーマンであるところの役どころを実にいい感じでこなしていた。
そして、この映画を佳作ならしめた最大の要因は、多部未華子が提案したという“プレ歩行祭”の実行なのだと思う。主要キャストとスタッフで、ほんとに60kmぐらいの歩行祭をやってみたらしい。この映画で表現されている空気感はそこまでやった経験の賜物なのだろう。
仮に、脚本の過剰な枝葉を排して、役者の力量と観客の読解力を信じて淡々と演出していればあるいは、「リンダ・リンダ・リンダ」の向こうをはった傑作ともなり得たのではないかと思う。そこがちょっと残念だ。
わたしがこの映画を昨年公開初日初回に茨城の某所で観た時のことであるが、上映後に後ろにいた二人連れのおばさんが
「ちょっとの間、青春時代に戻ったね」
と感慨深げに話をしていた。あるいは水戸一高のOBで(歩行祭のモデルである)“歩く会”の経験者だったのかもしれない。
この映画のキャッチコピー「映画を観ている間は18歳に戻れます」は伊達ではないなぁ、と思った。
おまけ
・「ピクニックの準備」という前日譚のショートムービー集も一見の価値がある。主要人物ごとの前日のお話である。これは元々は映画宣伝のためにネット配信されたものであり、事前に観ることを前提に作られているようであるが、後から観ても充分面白い。機会があればチェックしてみて欲しい。
(追記:ピクニックの準備を詳しく紹介したブログがあった⇒ブタネコのトラウマ)
なお、恩田陸の短編でも同名の「ピクニックの準備」という作品があるが、こちらは本編の予告編というか習作という感じのものであり、上記のムービーの内容とはほとんど関係ない。
・ちなみに「夜のピクニック」は8月22日(水)24:20~ (木曜0:20)
WOWOW で放送されるので視聴可能なかたは是非チェックされたし
・また、たまたまであるが、この映画の舞台である水戸のそば東海村で上映会がある。
近隣の方はもちろん遠方の方も映画をみて歩行際の舞台を確認してみては。
入場料500円とお徳。
東海ワンコイン劇場「夜のピクニック」
8月26日(日)、午前10時、午後1時、3時20分、5時40分 500円
東海村船場の東海文化センター(TEL029・282・8511)。
※日時や内容などが変わることもあります。主催者にご確認のうえお出かけください。
水曜日, 8月 08, 2007
映画:トランスフォーマー スピルバーグのダークサイド本領発揮
トランスフォーマーを観た。
スピルバーグやりたい放題の映画。ご馳走様、と言うほかない。
世間的にはマイケル・ベイ監督の手腕が評価されているが、この映画のテイストは完全にスピルバーグのものだと思う。
トランスフォーマーの世界観と容赦ない地獄絵図のような戦闘シーン、幼児性と残虐性をエンタテイメント超大作で両立させ、しかも興行的に大成功させている。こんなことが出来るのは彼ぐらいのものだ。
市街戦描写は本当に凄い。非現実的なロボットが暴れていて破壊の限りをつくしているにも関わらず、直接には市民の被害の描写がない。だから戦闘の迫力を純粋に娯楽として楽しむことが許されているのである。どう観たって数百人単位で死んでるだろ、あれじゃ。
どこの戦闘シーンでもいい。仮に、人体損傷のカットを、いや血が流れるカットだけでつけ加えたなら、即プライベートライアン顔負けのR指定間違い無しのジェノサイドムービーになってしまう代物だ。けど仕上がりは大迫力のアクションモノ。
超映画批評では、
この映画の難点は、とくにラストバトルなど、トランスフォーマーが激しく動く際にカメラが寄りすぎて、逆に映像の快感度を下げている点だ。トランスフォーマーの動く速度のリアリティには相当力を入れたようなので、なるべくCGのアラが目立たないようにとの意味合いもあるのだろうが、こちらとしてはもっと引きの映像を入れてほしいと思う。
としているが、これはCGのアラを防ぐという目的ではないと思う。いくつかあった引きの映像ではどうしても怪獣映画の構図になっていた。特撮好き向けのロボットものとしてはそれでもいいのかもしれないが、やはりこの映画では、“圧倒的かつ理不尽な力に蹂躙される人間達”という視点を徹底したのだと思う。
それにしても、スピルバーグもうまいことバランスをとったと思う。
このバランスの実現については、マイケル・ベイの貢献が大きい。映像職人として弩派手なアクションシーンの構成力は、戦闘の激烈さを際立たせつつ、スピルバーグの残虐性をうまく覆いかくしている。元々プロットもテーマもおまけみたいなものだから、まさにベイ向きの映画だったのだ。
・・・・えーと、褒めてますからね。一応誤解なきように。
予告編だといわゆる侵略(インベイジョン)SFっぽい印象が強いのだけど、そういうわけで、本編はいきなりの戦闘で、メガトロンvs米軍 ⇒ メガトロンvsサイバトロン+米軍、という流れであり、米軍のプロパガンダとしてもいい線いってる。
ラプターやオプスレイといった最新鋭機も出てくるけど、インパクトはAC-130ガンシップが最高だね。「空飛ぶ砲台」の異名は誇張でもなんでもなく、左舷にのみ装備された重火器105mm砲を左旋回しつつ地上の一点に叩き込む姿は米軍の攻撃シーンの中で一番迫力があった。あれ本物なんだよねえ。
そうそう、この映画ロボット達のCG以外は極力ライブアクションで撮影したらしい。実際、その効果は映像の迫力に充分発揮されていると思う。現実に起こりうるアクションについては、まだまだCGでは及ばないところがあるのだな、と認識した。
#なにげにT2(戦闘機じゃなくてシュワちゃんのやつね)へのオマージュがあったのは何故だろな?
カマロから自転車で逃げるとこだ。
日曜日, 8月 05, 2007
映画:エヴァ予告
たまたま終末に劇場に足を運んだので氷川竜介ブログで紹介されていた「エヴァンゲリヲン:序」の本予告を観ることができた。
うわぁわぁわぁわ!!
まずい、やぱび、スイッチ入ってしまった。
一気に観たくなってしまった。
ってゆうか観る。観ねばならぬ
今回のリメークは正直については
「はいはい、機会があったら昔ハマったよしみで、お布施と思って付き合いましょうか」
程度だったのだ。パブリシティもあんまり張ってないし。
がしかし、現代の制作技術を投入して作成された映像クォリティの上でエヴァの世界がまた繰り広げられているのを見せつけられると、往年のエヴァオタの血が蘇ってきてしまったよ。
参った。また、公開毎に次の封切りまでじりじりさせらるのね・・・・
そうゆうわけで、エヴァで人生誤った類の人達はしばらく劇場に近づかないほうがいいと思うよ。
あ、もちろん公式サイトもね。
水曜日, 8月 01, 2007
電脳コイル12話:ヒゲイリーガル文明の興亡
電脳コイル12話があんまりにも面白かったので、ちょっと遊んでみる。
遺されている数少ない物証から考察してみよう。
1.彼らはどこから来たのか
正確な場所はわからない。しかし、彼らの群生場所が初めて観測されたのがダイチの顔面、特に口周辺であること、また、その直前の2日間に、ダイチがイリーガルを求めて、旧電脳空間を広範囲に探索していたことから、このいずれかの空間―おそらく神社・寺院など―にその起源があることはほぼ間違いない。
しかし、旧空間からの偶然の感染というだけでは、今回のような未曾有宇のイリーガルの大発生は考え難い。ダイチが短期間に複数の旧電脳空間を探索したこと、これが重要なポイントと考えられる。
旧電脳空間は、大黒市のあちこちに存在しており、それぞれは相互に関連はないので、ちょうどガラパゴスのような固有な閉鎖環境となっている。たぶん、それぞれに何らかのイリーガルが存在しているのだろう。これまで今回のようなイリーガルの感染拡大が発生しなかったのは、仮に誰かがこれら旧空間のイリーガルに接触感染したとしても、旧バージョンのイリーガルは現行の電脳空間は長期間生存できなかったためと考えられる。
しかし、ダイチが短期間に複数の旧空間を探索したことにより、ダイチに感染した旧バージョンのイリーガルは、旧空間と現行空間の環境に交互に晒され、その結果、彼らは両空間境での生存能力を急速に強化していったのではないだろうか。
ある意味、ダイチこそ彼らの創造主であるといえよう。
2.何故彼らは栄えたのか
文明が発展する条件、それは余剰資源である。古代文明では食料生産力、現代ではエネルギー確保が相当する。
では、ヒゲ型イリーガルにとっての余剰資源とは何か。
電脳空間における高度な情報処理能力である。
もともと彼らが生存していた空間は旧バージョンであり、その処理能力は限定されていたものである。電脳空間は電脳ペットが存在できるように構成されているものであるから、基本的に人工生命が安定的に存在することが可能な情報空間となっている。ペットのような大型の生命だけではなく微小な形態の生命、ウィルスや菌といったものが自然発生する余地は充分にあるだろう。
旧空間で小型で効率的に生存していた原始的なイリーガルにとって現行空間は極めて豊穣な空間であろう。ダイチのおかげで旧空間内生息しつつかつ現行空間の余剰資源にアクセスする能力を持ったイリーガルが、その資源を生存以上のものに向かわせるのは極めて自然な発展プロセスであろう。
またヒゲ型という小型生命体であることも文明発展に優位に働いたと考えられる。
イリーガルの生息域拡大の前例として11話の巨大魚型イリーガルがあるが、この場合は現行空間の資源をその生存のみに割り振り、巨大化という方向へしか発展させることはなかった。これはつまり1個体の生存に必要な資源(情報処理能力)が拡大していったため、余剰資源が発生せず、結局文明発展に向かわなかったといえる。
電脳空間の情報処理能力とは、空間内においては物理現象そのものである。人間が物理法則を試行錯誤で組み立てていったように、ヒゲイリーガルたちは電脳空間の情報処理、おそらくはAPIを試行錯誤で取得していったのであろう。そしてその組み合わせによって新しい技術や電脳空間の利用の仕方を学んでいったのだろう。ちょうど錬金術から物理化学に発展していったように。
3.何故、口の周りに群生したのか
ひとつの理由は、メガ婆の解析が示すように、旧バージョンからの空間が階層化して存在しているため。もうひとつは、口の周りには資源が集中し豊富であるためだ。
眼鏡を顔面に装着するから顔周辺空間に情報処理機能が集中しているのは自明である。特に口周辺は音声認識・表情構成など認識処理に直結するエリアであるため特に情報処理機能が強化されているはずである。これはまた機能向上のため頻繁にバージョンアップされていることも推定され、上記の2つの条件が成立したのであろう。
この推論により、メガ婆の髭が特にふさふさだった理由も想像に難くない。当然、猛烈に複雑なバージョンアップと電脳空間の機能アップをしているはずだからである。
また、初期の感染ルートとして指先があったというのも同様の理由であろう。指は仮想キーボードの入力インターフェースであり、処理負荷が非常に高い部分である。
4.彼らにとって宇宙とは、そして神とは
彼らにとっての宇宙とは現行電脳空間であり、そのままでは彼らが生存できない空間である。宇宙空間への進出が可能となったということは、イリーガルが自ら開拓した技術によって、新しいバージョンの空間への適応を可能としたということである。
11話の巨大魚は、これとは異なり、進化による適応であり、その意義は全く異なるものだ。
ヒゲイリーガルの場合を例えて言えば、MACの古いバージョン(KT7あたり)のアプリが、自分でAPIを拡張してVMを背負ってVistaで平気な顔して動いているようなものだ。
そして彼らにとっての神、ヤサコ様のお告げは技術発展の大きな牽引力となったと思われる。
神のお告げの原理を探る行為はそのまま電脳空間のAPI解析に直結するし、神という存在が自己の存在意義という内的思索の要因ともなる。もちろん哲学者が登場するのも必然だ。
文明末期において、彼らはに宇宙―電脳空間―をどこまで正しく把握できていたのだろうか。もしかすると神であるヤサコ様を通して人間世界の存在を把握するにいたっていたかもしれない
5.そして彼らはどこに去ったのか
最終戦争により自らの文明を失った彼らは、ヤサコ様により約束の地を与えられた。
しかし、彼らは文明の再興を試みることなく去っていった。
彼らは何を求めていったのであろうか。
高度な哲学的思考力を備え、また科学技術の粋を極めた末にそれを失った。
そんな彼らが追い求めたものは自己の存在、そして自己の起源であろう。
自己の存在形態に対して、あまりにもアンバランスに余剰資源がある電脳空間。それこそが彼らの文明を導きそして滅ぼした元凶である。彼らはそれに気がついたはずだ。
「我々はどこから来たのか。そしてどこにいるべきなのか。」
彼らは去っていったのだ。彼らの起源である空間。
いわば彼らのうまれ故郷である旧電脳空間の地球へ。
そう、地球(テラ)へ。・・・・・・・・・・・・・・・ 寺へ。
#たぶん、爺さんが墓参りに行ったときにでも、起源の旧電脳空間を見つけたんだろう
#このオチを使えるのは30年ぶりの今しかない
月曜日, 7月 30, 2007
爆笑。電脳コイル12話「ダイチ、発毛ス」
いやぁ、電脳コイルで吹き出してしまうとは思わんかった。
完全にやられました。
クォリティについては文句のつけようがない点は言うまでもないのだが、これまではどうも突き抜けた部分がなくて心の底から楽しんでいなかったのだな。
今回のタイトル「発毛ス」なんて、
「ああ、きっと思春期の子供達の感性をダイチとフサエのやりとりの変化を通じて描くだろうなあ」
とか思うところを、ここまで外してくるとは(^^;
電脳空間の文明の興亡というネタは、もうドラえもんなどでおなじみですけど、まさか電脳コイルの枠組みでやってくるとな。しかもハイスピードで完全にギャグ路線。
メガばあが、ワクチンつくるよりも翻訳ソフトつくってしまうというのはプロット上の要請とはいえ、いかにもやりそうで実にそれらしい。ひげぼうぼうのまま喜んでやってるし。
いやあ面白かった。今回のエピソードは完全に遊びかサブプロットのような気がするけど、もしかしたらイリーガルが文明を持ち、またリアルワールドとの意思疎通が可能、というあたりが今後の展開に影響するのかも。そういえば最後はどこに旅立っていったのだろうか、もしかして・・・
#面白かったのでちょっと考察してみた⇒ヒゲイリーガル文明の興亡
「時をかける少女」は無謬である
「時かけ」は理屈抜きに面白かった。
で、今度は理屈で楽しんでみる。
とりあえず「死にたい」「欝になった」類のコメントは当人側の問題なので理屈でどうこうではないのでパス。
他のコメントではダメだししているものが結構あった。
どうやらこの映画に対する否定的なコメントのポイントは、タイムリープの矛盾・設定ミス・ご都合主義というところにあるようだ。
気に入った作品については、ポカも含めてそれを“真”としてこそ、理屈での楽しみ甲斐があるというものだ。
ちょっと指摘項目を肯定的に解釈してみよう。
以下、メインプロットのネタばれに触れので未見の方はご注意。
し
ば
し
改
行
指摘ポイント:
最後の千昭のタイムリープで真琴の記憶が残っているのがおかしい。他のタイムリープ描写では、タイムリープの当事者以外は時間が戻る前の記憶がないはずだ。
肯定的解釈:
千昭のタイムリープの描写は真琴のものと明らかに違う。時間停止状態に真琴を巻き込んでいる。これはつまり、真琴も一緒に過去に連れて行ったという解釈するほうが自然。
真琴のリープ残り回数が元に戻ることについては、残り回数が減るのはあくまでタイムリープの行使者の分という解釈で。
インタビュー資料に「タイムリープのチャージについてはSuica理論というのがあって・・」という表現があり、これはだれがチャージを負担するか、ということを指しているものと思われる。
念のために付け加えておくと、否定的コメントに反論とか議論をふるつもりは毛頭ない。
ひっかかった点を解釈して、あくまで理屈で楽しむだけである。
「河童のクゥと夏休み」を観たかったのだが
昨日はほんとは「河童のクゥと夏休み」を観るはずだったんですよ。
待ちに待った原恵一の新作。ここのとこ原監督のインタビューなどパブリシティも強力で、TV・劇場とも予告が結構かかってたこともありかなり興味をそそられていたのです。
で、公開初日7/28に久々に時間が空いた。
これは行くっきゃない!
さっそく近くのシネコンのスケジュールを確認・・・・・・
・・・・・・ない。
もうひとつのシネコンは・・・・・・・・こっちもない。
おーい。予告編さんざかけてた当の劇場で公開がないってーのはどうゆことよ。
まあ地方都市であることは認めるけどもシネコン3つのどれにも公開なしって・・・・
オフィシャルHP確認したら、全国で100館ちょっと。まあ無理もないかぁ。
#そうゆうわけで、夏の映画の代替案として「時かけ」を観たので、まあ結果オーライなんだが。
で、これまた「時かけ」の関連資料を読んで知ったのだが、P&Aという言葉があるのだね。
Print and Advertising 要はフィルムのプリント数と宣伝の金額の比率。「時かけ」は単館系で13本でスタートだったとな。けど近所でも公開してたから順番にフィルムが回ってきてたからなんだな。まさにロードショーだったわけだ。
そう考えると「河童のクゥ」の公開規模と宣伝量は決して小さなものではないのだな。100館「ケロロ」並みらしい。
いかんせん回りでやってないのはいかんともしがたい。
ほんっと機会損失だよ。もったいない。
はよ、ロードショーで回って来ておくれ。
土曜日, 7月 28, 2007
「時をかける少女」をようやく観た
やっと観た。
劇場公開で機会を逃し、実に1年目にしてようやく。
といっても地上波放送ではないっすよ。
DVDですよん。しかも初回完全限定版。
Amazonでとっくに入手済みだったのになにやってんだか。
それも、3ヶ月目にしてようやく封印が解かれたわけで。
理屈抜きに面白かったぁ。
(たまたまなんだけど)やっぱ「時かけ」観るなら夏だよねぇ。
これまでなかなか封を切れなかったのはきっと“時かけさま”がタイミングを見計らっていてくれたのに違いない。うん、きっとそうだ。
来年からは「時かけ」を夏休みの定番放映にしてしまえばいいのさ。
毎回15%は固いぞぉ。
さあ、これから貯めに貯めていた関係書籍・ビデオをみるぞぉ
絵コンテ・NOTEBOOK・オトナアニメ・フリースタイル、それからBSアニメ夜話だ。
それともちろんDVD限定版の付録や特定映像も(^^
あ、そういえば「時かけ」美術監督の山本二三氏が監督を、奥寺佐渡子が再度脚本を務める「ミヨリの森」は、フジTV8月25日21時~ 放送だ。美術がすばらしいのは疑いの余地がない。作品の仕上がりにも期待。アニメーション・ノートNo.05に「時かけ」の仕事も含め紹介記事あった。
ところで、
はてブあたりでは「時かけで欝」とかいう記事がいっぱいのようだが、この傾向は、学園を舞台にした秀作が出現される度に繰り返されることになるのだろうか。
まあ見方を変えれば作品の完成度の高さの裏返しなんだろうけど、もったいないなあ。いっそのこと異国のファンタジーとかパラレルワールドの学園モノと割り切って楽しめばいいのになあ。
そうゆうわけで「時かけ」と「耳すま」と「リンダ×3」は季節ごとの放映を義務付けてしまえばいいのさ。
業界系ライターメモ
サイゾー(2007年8月号)「オタクギョーカイの闇」の“老害化が進むオタク論壇の憂鬱”の最新オタク・マスコミMAPが、関係者の間で話題になっているようだ。
はっきり言って“評論”にはあんまり興味がない。関係者インタビューなどを追っかけているのはメイキング・方法/技術論などに興味があるからだ。
だからMAPで誰がどこにいるかというのはどうでもいいのだが、昨今のライターさんはブログなどでこまめに情報発信している人が多いので、生の情報源として面白く、そういう意味では今回のMAPの交流関係は生情報の背景を知るきっかとしてちょっと役にたった。
以下、ライターさんたちのWEB上の情報をメモ代わりに列挙(敬称略)
藤津亮太
藤津亮太の「毒にも薬にもならない」(期間限定) ブログ 名前は適当に変わっているよう
藤津亮太のAnime喜怒哀楽
藤木義勝のMake my day !
実は・スゴイ・このアニメ アニメージュサイト内の連載
アニメを見てると××になるって本当ですか? NewTypeチャンネル
更科修一郎 CutePlus-Blog ブログ
宇野常寛(善良な市民) 第2次惑星開発委員会
伊藤剛 伊藤剛のトカトントニズム
タニグチリウイチ 日刊リウイチ
岡田斗司夫 レコーディング・ダイエットのススメ
数土直志
数土直志のアニメビジネス漂流記
#オタキングが激ヤセしてたのはダイエットの成果だったのかぁ
氷川竜介 氷川竜介ブログ
夏目房之介 夏目房之介の「で?」
竹熊健太郎 たけくまメモ
意外なところに京アニ情報(の間接ポインタ)
SF翻訳者の大森望氏のサイトの07年7月16日~17日にこんな文章が、
アニメの国のえらいひとたち(氷川竜介、藤津亮太、小川びい)と浜松町のタリーズで20分お茶を飲む。 氷川、藤津両氏は、サイゾー8月号の宇野常寛原稿についてる「最新オタク・マスコミMAP」によると、御用ライター文化圏に分類されるらしい。シャカイ派の80年代ノスタルジィ中年だそうです。ふうん。ノスタルジィで言うならむしろ70年代派なんじゃ……。小川びいは朝日新聞に原稿書いてるのに、MAPには名前も入ってない。まだまだってことか。更科修一郎と宇野常寛はセカイの中心にいるのにな!
……というような話はまったく出ず、もっぱら京アニの監督人事が話題でした。ふうん、そんなことになってのか。全然知らなかったよ。
藤津亮太氏はオトナアニメVol.5でも寄稿してたから、例の山本寛インタビューのでの情報も持ってるんでしょう。
ライター関係のブログなどをウォッチしていたら、オトナアニメVol.6のやまかんインタビュー後編の前に何か情報キャッチできるかも。
水曜日, 7月 25, 2007
Suica対応コインロッカーの画期的なユーザビリティ
タイトルが全てなのである。
Suica対応のコインロッカー、初めて使ってみて、その利便性に目からウロコが落ちた。
Suica応用システムとして極めて本質的な機能が実現されていると言っても過言ではない。
(画像は、株式会社アルファロッカーシステム の製品紹介サイトより)
使い方はいたってシンプル(現金使用も可能であるが、以下はSuica使用を選択した場合)
<預ける>
・ロッカー中央のタッチパネル画面で[預け入れ]を選択
・空いているロッカーに荷物を入れて扉を閉める
・Suicaを中央のリーダーにワンタッチして施錠
・レシート(ロッカーの番号やSuicaのIDの一部などのメモ)がプリントアウトされる
最後のレシートはあくまでトラブル用の控えである。取りだし時の際に必ずしも必要となるものではない。まあ、ありがちなのはロッカーの場所を忘れてしまうことだろう。(私も場所がわかんなくなって、ちと探してしまった)
<取り出す>
・ロッカー中央のタッチパネル画面で[取り出し]を選択
・Suicaを中央のリーダーにワンタッチして開錠
・扉が自動的に開く
以上。
文章にしてしまうと、小銭を使わなくて済むことと、キーレスになっているのがちょっと便利な程度という印象しか得られないと思うが、ワンタッチで「認証」「精算」「該当ロッカーのドア開錠」が全て自動で処理されるというのは想像以上に快適なのである。
特に画期的なのが最後の開錠だろう。どのドアか忘れても機械のほうでちゃんと覚えててくれるのだから。
この快適さ、例えるとすると馴染みのホテルでクロークに貴重品を預けたような、といったところであろうか。
「昨日預けたあれ、出してくれる」
「かしこまりました。・・こちらでございますね。」
「うん。どうもありがとう」
・・・みたいな。
“馴染みの”ってところがミソ。普通はホテルでも受け取りには引換証やサインが必要だもんね。
精算をほとんど意識しないというのも重要な特徴である。
ホテルのクロークでいちいち「ご利用代金はお部屋代につけさせておいていただきます。」なんてやられたら仮に1回¥10だとしても、あまりいい気持ちはしないよね。
ホテル利用というのはサービス全般を買っているもの。だから、いちいち客にストレスをかけてほしくない。
話はコインロッカーに戻るが、キーレスロッカーというものは全然目新しいものではなく、昔からゴルフ場や大きな銭湯などで既に広く利用されている。ただし、これらは利用時にキーの代わりにドアの選択や暗証番号の入力という手順が必要である。そのため、仮に利用料がただであっても「セルフサービス」という感触が残ってしまう。ここがSuica対応ロッカーと根本的に違うのである。
SuicaのIDを使うことによって実現した「認証」「課金」の自動化。このわずかな違いによってユーザ側のストレスを極力排除することに成功したこのシステムは、今後Suica応用に限らずいろいろなシステムのユーザインタフェース設計に影響をもたらすのでないか、とすら思う。
たかがコインロッカーと侮るなかれ。
こんなシンプルなシステムにさえ、お客のストレスを排除するユーザビリティの革新という、新たなサービスの実現が可能なのである。多くの示唆を含んでいると思う。
まあ機会があったら是非一度使ってみて欲しい。
日曜日, 7月 15, 2007
ハルヒ2期への暗雲
絶望した!! NewType8月号の、あまりの情報量の無さに絶望した!!!!
七夕の2期決定の正式報に喜び勇んで7月10日発売のNewType8月号買ったさ。
見開き2ページ、新聞広告以上の情報なし。例の七夕の地上絵のネタがあるぐらい。
次の2ページにいたっては、
「さて2期とは何か考えてみよう」「今の俺達にはわからない」
・・・・・・なんじゃそりゃー!!!!!!
新聞全面広告かけて、それだけかよ・・・・・・・・・
開始時期は? スタッフは? 笹の葉は? 消失は?
谷川/賀東の脚本は? そういえば驚愕は・・・・
あったのはゲームの告知だけって、ぉぃ。
で、追い討ちをかけたのが一緒に買ってきた「オトナアニメVol.5」。
もう既に皆さんご存知での山本寛インタビュー。6月に既にフリーになっていたことが公に。
そいでもって12日「おおきく振りかぶって」のEDのクレジットに「やまかん」の名が。
やっぱり京アニから相当距離ができたしまったのかなぁ。2期はやまかん無しなのかなぁ。やんちゃしてくれる人がいないと超監督ハルヒの世界に制作側が振り回されるのではないかなあ。
・・・・ここに来て、今回のハルヒ2期発表の先行きに、ものすごぉーい不安が。
よく考えてみたら不安材料が山ほど
・件のNewTypeの記事、そのすぐ後ろは、らき☆すたを使ったあからさま穴埋め記事。
本当は10ページ使ってハルヒ2期の特集記事だったんじゃないの?
それができなかったんだとしたら、直前にあまりにも大きな状況変化があったということななのか。やまかんフリーと関係するのか。
・邪推「京アニのスケジュールへのこだわりのせいでハルヒ2期が一向に進まない角川側が痺れを切らして、やまかんをはがして独自にハルヒ2期の体制とろうとしてぐちゃぐちゃになってしまった、とか」
・あそこまで発表できる情報がないのに七夕に強行で広告うったのは後に引けないなにかがあるのか。株価とか。
・七夕のあれのグダグダさ加減はこれまでのOfficailサイトのサプライズイベントと比べ、あまりにも内容がない上に、原作へのレスペクトや祭りを盛り上げる要素に欠ける面が多すぎる。今回のパブリシティに京アニのセンスが全く見えない。ハルヒのアニメ版については京アニにある程度権利があるから、大丈夫だとは思うがほんとに京アニでいけるのか?
・以前、角川からニコニコ動画への一斉削除要請の騒ぎがあったが、あれってらき☆すたDVD第1巻発売の直後なんだよね。DVDの売り上げの見込みがかなり狂って、あわてて動画削除に動いてしまった、とか。今でも限定版在庫あるしねえ。価格設定からしてマーケティング間違えてないか。
・「驚愕」はほんとに大丈夫なんか・・・・・・・・
火曜日, 7月 10, 2007
なんたら2.0とか
「WEB2.0」という絶妙なネーミングは、一見ソフトウェアバージョンな印象のもとに、「次世代~」とか「ポスト~」というニュアンスの新しいフレームワークを与えた。
また、これほど中身がないにも関わらず広く普及したコンセプトはなかなかに珍しいものであろう。なにせ回りが勝手に解釈して、意味づけを広げくれるのだから。
その後、業界内では「なんたら2.0」という言い回しが、半ばジョーク的なニュアンスも含んで普及したのは承知の通りである。
で、最近では「DoCoMo 2.0」に「ダイハード4.0」と、ついにはCMや映画にまでこの言い回しが波及してきている・・・・・・・・・・・いや、違う。映画については先例がある。
実は、このバージョンナンバー表現のルーツはWEB2.0よりはるかに古く、とある映画に使われていた。しかも非常に正しい意味でである。
Star Wars Epsode 1.1 The Phantom Edit
これがそうである。
紹介記事⇒原えりすんの電気オタク研究所 バックナンバー 2002年1月24日の記事
海外の紹介記事もあった。
上記の紹介記事を読んでいただければわかるが、これ、エピソード1の出来のあまりのひどさに腹をたてたマニアが自家版で再編集してしまったもので、こちらのほうが出来がいいと評判になったものである。
そういう意味で“1.1”というマイナーアップデートのバージョン設定は極めて正しい。
ネーミングだけで大笑いした記憶がある。
今ではこの表現も広く普及してしまいインパクトもなくなり既に手垢のついた言い回しになりつつあるので、次は、αとかβ版とか、XPだVistaだとか使われるのか。
#あ、そういえばバージョンではないが「ブルースブラザース2000」ってーのもあったな。
金曜日, 7月 06, 2007
ハルヒ2期
いやね、ここんとこ妙にハルヒ関係キーワードでの検索が多かったもんで、もしやとは思ってたんですが、
MOON PHASE 雑記 (2005.7.5)より
■[タレコミ]TVA「涼宮ハルヒ」二期決定!
ハルヒといえばうってつけの日にSOS団公式サイトにて発表とのこと。また、7月10日発売のアニメ誌から一斉に情報解禁の模様。
素直にうれしい。これにつきる。
「うってつけの日」で7月10日より前ってことは
・・・・自明ですね。
#あ、今年はまだ願いごと描いてなかったな
さあ、これでネタ帖のこやしになってたハルヒ関係ネタを一掃させるモチベーションになるかな。
木曜日, 7月 05, 2007
最近の自動改札は賢いのだな
最近の自動改札って取り忘れた切符を回収する機能が備わっているって知ってました?
実は知識としては知ってたのだけど、自分がその恩恵に預かって初めて有り難味を知ったというお話。
都内に出張に行く時は、大抵、都内は乗り降り自由というフリー切符を使います。このフリー切符は往復券で、行きの切符は改札から出るときに通常通り回収されます。帰りの切符が乗り降り自由に使えて改札から出る時も回収されず繰り返し使用できる、というタイプなのです。
出張時に行き先が複数あったり、寄り道する時など重宝します。
で、先日の出張先はいつもは最初に直行するところだったのですが、たまたま時間が中途半端だったので、別のところに寄り道して、ご飯を食べてから目的地に向ったのです。
・・・もう、おわかりですね。帰りの切符を使っているにもかかわらず、普段最初に降りる駅を降りたもんですから、無意識に切符を取らずに改札をでてしまったのです。
習慣というのは恐ろしいもので、帰りにその駅で電車に乗ろうとするまで切符を取り忘れたことにまったく気がついてませんでした。
財布の中に切符がないことに気がついた時に、「あっ・・・・・」となりましたが、いかんせん取り忘れは数時間前の話。痛いなあと思いつつしょうがないので緑の窓口に切符を買いに行きました。
で、駄目元で窓口のお姉さんに
「すみません。昼にこの駅の改札でフリー切符を取り忘れたんですけど、とどいてませんか・・」
と訊いてみたら、
「どこの改札ですか」
と確認して即、電話してくれて、
「届いてますので改札までいってください」
との回答。
ラッキー!!!!!! 誰か届けてくれたんだぁ、と喜んで改札に向いました。そこではもうお姉さんが切符を準備してくれていて
「取り忘れたのはどこの改札ですか? いつ、どこの駅で買った切符ですか?」と確認され
て、保管してくれていた切符をわたしてくれました。
この時に「この改札機に残ってました」教えてくれたことで、切符を誰かが見つけて届けてくれたわけではなく、改札機自体が取り忘れ切符を保管してたことを知ったわけです。
通常の回収される切符はそのまま改札機に残りますが、フリー切符などの回収されない切符が取り忘れられると一定時間後(もしくは次の切符が挿入された後)に、その切符を逆に飲み込んで回収切符とは別領域に保管する、という仕組みのようです。
そう言えば何年か前に鉄道関係の友人に似たような話を聴いたような気がするから、この機能は随分と前に実現されてたもんなんでしょうね。
そうゆうわけで、切符を取り忘れた場合でもかなりの確率で改札機が保持してくれてますので、まずは駅員さんに確認してみましょうね。豆知識でした。
#何千円か儲かった、といい気になって散在してしまったのは、また別のお話
今日の早川さん
はてぶ経由のこのエントリでcoco's bloblog知る。
そこそこSF好きなんで今日の早川さんはかなりツボ。一気に全部見ちゃった。
感謝と敬意をこめてバナー掲載(やっぱり帆掛さんだけどね)
#ところでこのbloblog ってblogじゃなくてblobなわけね。マックウィーンの絶対の危機ってやつだ。
追記:早川さん達が着ているTシャツの小ネタを拾ってみた⇒今日の早川さんたちの胸元
火曜日, 7月 03, 2007
7月期視聴予定(というか願望・・・)
もう、7月かぁ。例によってメモ代わり。適時インプレッションを追記
アニメ新規(○は期待)
・Devil May Cry
・シグルイ ○
・ムシウタ
・バッカーノ
・モノノ怪
あ、WOWOWばっか・・・・・・・
アニメ継続(◎:優先度高)
・精霊の守り人 ◎
・電脳コイル ◎
・マスターキートン
・彩雲国物語
・らき☆すた ◎
・おおきく振りかぶって ◎
・ラブ☆コン
・クレイモア (Death Noteの時間調整でとっていたのだが、これがなかなかにめっけもんだったので継続)
・地球へ (惰性・・・・・)
ドラマ
・牛に願いを
初回印象:思いのほかシリアス路線。なんとなく「動物のお医者さん」や「のだめカンタービレ」のような専門分野の学園モノかと思っていたのだが、農家の現状を問題提起した社会派路線なのかもしれない。
・受験の神様
海外ドラマはそれなりに・・ CSIとコールドケース3がメインかな
日本テレビで期待度の高いドラマはつくづく数字がついて来ない・・・・
セクシーボイスアンドロボは決して悪い出来ではなかったのに、演歌の女王を下回る結果。さらには篭城事件の影響でお蔵入り・・泣きっ面にハチだね、まったく。
ドラマの制作側のコンセプトとマスの視聴者層が完全に食い違っているのだろうか。かくいう私もドラマは基本的にビデオで撮ってみているからなあ。成海璃子ちゃんでどこまで回復できるかが見物である。
日曜日, 5月 27, 2007
toto BIG でよくある勘違い
先週からtoto BIGのエントリを書くにあたって、いくつか関連ブログを見たのだが、意外に確率を勘違いしているところが多かった。一番大きな勘違いは、
「ホームとアウェイで勝率が違うから、1等があたる確率は、正確には478万2969(=3の14乗)分の1ではない」
というもの。
実はtoto BIGでは、試合の勝敗確率は全く関係ない。
それどころか実は試合などしなくてもtoto BIGのくじは本質的には成立するのである。
つまり当たり組み合わせが毎回「オール1」であっても、本質的には全く影響しない。もちろんその場合は、くじを買った瞬間にはずれがわかってしまうことになってしまうが。
toto BIGで重要なのは、「くじが1口ごとにランダムに発行される」ということだけである。
試合結果にリンクさせるのは、スポーツ振興の建前と、くじの楽しみを先送りにするためだけでしかない。
週刊誌のアドバイスなどで「3試合は納得できる組み合わせが出るまで買う」などというのは必勝法でもなんでもなく、ただただ、売り上げ向上のサポートをしているに過ぎず、口数を増やした分の勝率向上と、せいぜい、くじの楽しみを少しでも伸ばす程度の意味しかないのである。
なお、くじ発行のランダム性は2等~4等の配当金が非常に安定していることからも判断できる。
通常のtotoと比べtotoBIGでの4等配当金の安定度は格段の差がある。これはくじの発行がそれなりにまんべんない組み合わせに足して実施されている間接的な証拠であろう。
ただ、現在のシステムが本当にランダムなくじ発行をしているかどうかは若干疑問が残る。
どうして振興協会は、くじの販売終了時点で、勝敗パターンごとのくじ発行口数を公開しないのだろうか。これさえやっておけば八百長の疑惑は完全に払拭できるのに。
1等のあたり口数が先にわかってしまうのが興ざめならば、暗号化したデータを先に公開しておいて、試合が確定した時点で、勝敗パターンごとの発行口数を解読できる暗号を公開すればいい。
とにかく、今回みたいな実に微妙な当選数が続くのならば疑われてもしかたないだろう
toto BIG その後
サッカーくじを運営する日本スポーツ振興センターは26日、第280回分の売り上げを発表し、ビッグは当せん金5億6313万2913円の1等が7口出た前回の過去最高額61億2033万1500円から1割以下の5億7385万2000円に激減した。
まあキャリーオーバーなくなったからしょうがないとは言え、ここまで落ち込むとはねえ。
けど前回の7口って微妙すぎるなあ。前回のエントリで計算したように約7%。
これできっかりキャリーオーバがなくなるんだから、ほんとは6口だったんだけど、後だしで1口追加しました、って説明されたほうが自然に感じるぐらいの微妙なとこ。
で、今回はキャリーオーバなしになったけど、次に期待できなくももない。
この口数(1912840口)67%の確率で1等なし、キャリーオーバ2億2954万8000円
こうなると次は売り上げ少し伸びるから、1等配当分合計が6億になるのも難しくない。
この先は2、3回に1回キャリーオーバーが発生して、売り上げ伸びて、賞金でたら貯まるの待って、というサイクルが続きそう。
日曜日, 5月 20, 2007
TOTO BIGが大人気なわけだが・・・・
サッカーくじ、売り上げ65億円=出るか1等6億円(yahoo news5月19日16時1分)
日本スポーツ振興センターは19日、第278回スポーツ振興くじ(サッカーくじ、愛称toto)の売り上げが同日午前11時55分時点で、史上最高の64 億2600万円に上ったと発表した。特に繰越金の発生で1等6億円が出る可能性が高まり、注目が集まった「BIG」は60億2180万円を占めた。最終的な売上額やくじの結果は20日に発表されるが、販売締め切り後の速報値では全体で約65億5400万円、BIGだけで約61億4000万円となっている。
まあ6億ぽっちで釣られるなんて所詮庶民なんてこんなもんざーます。おほほほほ。
・・・・・・・えーと販売所どこだっけ。
流行にはとりあえずのることにして、ほんっとに久しぶりにtotoを買った。
なんか薄っぺらいレシートみたいの渡されるだけなんだね。もうひとつありがたみないなあ。
「6億円でるか?」・・・って、さすがに出るよね。
問題は何口でるか、というほうだろう。
計算してみた。
BIG売り上げ約61億4000万円 ⇒ 約2467万口
14試合3通りの組み合わせがランダムに発行されているとして、
当選口 | 確率 | 累積 |
0 | 0.013855516 | 0.013855516 |
1 | 0.059288754 | 0.07314427 |
2 | 0.126850427 | 0.199994697 |
3 | 0.180934033 | 0.38092873 |
4 | 0.193557425 | 0.574486155 |
5 | 0.165649212 | 0.740135366 |
6 | 0.118137464 | 0.85827283 |
7 | 0.072216944 | 0.930489774 |
8 | 0.038627677 | 0.969117451 |
9 | 0.018365618 | 0.987483069 |
10 | 0.007858777 | 0.995341846 |
7口以下となる確率が約93%。
1等賞金は売り上げの4割で約24億5千万、前回までのキャリーオーバーは14億9379万7800円を足して今回の1等賞金合計は約40億。
つまり当選が6口までなら次回のキャリーオーバーが発生する。
上記表から85%。 まあ期待できるね。
・・・・・つうか、期待するよ。初日ではずれ決定なんだもん・・・・・・・・・
ミラクル・フル・キャリーオーバー カッモーン! (1.4%)
土曜日, 4月 28, 2007
アニメ:ロケットガール
野尻抱介原作、女子高生が宇宙飛行士になるという話であるが、実はラノベの皮をかぶったバリバリのハードSF、しかも屈指の宇宙開発モノである。
日本の有人ロケット開発というこの作品プロットは発表から10数年たった現時点においても古くなっている点は全くない。むしろようやく時代がこの作品を受け入れられるようになってきたと言ってもいいぐらいである。
そのアニメ化ということで期待半分不安半分で視聴をしてきたのである。
うん、出来は標準以上であろう。原作を割りと忠実に追っておりアニメとしての仕上がりも悪くない。一番不安であったロケット関係の設定や描写も申し分なかった。
・・・・・けど、何か期待はずれなのであった。特に不満なところは無いはずなのに何故?
で、なんとなく観続けて第10話。
お話は、3人目の宇宙飛行士も決まったところに、NASAの冥王星探査衛星にトラブル発生。日本のガールズ達が解決に向かう・・・
これだ! やっとテンションあがってきた。と同時にこれまでの不満の原因もわかった。
観たかったのは「女子高生が宇宙に行く話」じゃなかったんだ。
「ロケットが、もしくは宇宙開発プロジェクトが、女子高生を宇宙に連れて行く話」
これだ。これをみたかったんだ。
これまでのストーリーは主人公であるゆかりの視点が中心であり、「女子高生が宇宙へ行く話」となっていた。これはアニメ化での構成意図であろうし、実際きっちり出来ていた。
しかし原作の最大の魅力は、一見軽めのストーリーが、その実、確固たるリアリティ(と最低限のSF設定)に基づいて構成された、有人ロケット開発そのものだったのである。少なくとも私にとっては。
これまでの漠然とした不満の原因は、ロケット開発そのものがストーリーの重要な軸としてにあまり描かれていないことだったのだ。
いや、実は描かれてないことはない。
例えばゆかりが飛行士になる意欲を失いかけた時に、技術主任が開発スタッフ全体の宇宙への思いを語るところや、新しい燃料の開発成功のシーンなどがそう。
しかし、やっぱりこれは、ゆかりがまた飛行士を目指したり、拒絶したりという流れをつくるための描写であり、「女子高生が・・」というプロットをフォローするものでしかなくメインプロットではなかったのである。
原作の「技術やプロジェクトそのものに萌える」という魅力は、やはり作者の宇宙への憧憬と見事な表現力の賜物なのだろう。以下に原作を忠実に追ったとしても、この魅力をアニメとして表現するのはやっぱり難しかったのだろうなあと思う。
しかし10話から、おそらく12話まで続くであろう冥王星探査衛星のトラブルシューティングミッションにおいては、ストーリーの必然から、日本とNASAとの組織の関係、飛行士のプライド、探査衛星開発に携わる科学者の長年の思い、さらにはそれに応える宇宙飛行士たち思い、といった宇宙開発にかかわるモノ達に関する描写が大きな比重を占めてくることになる。
これだこれだ。これで宇宙開発そのものが前面に出てくることになる。それに技術そのものの面白さも描写されるだろう。
例えばスキンタイト宇宙服。これ自体が非常に秀逸なコンセプトであるのだがこれまでは女子高生の羞恥心を刺激するという役割しか与えられてなかった。しかし今回のミッションで、この宇宙服で活動することでしかトラブルを解決できない、という流れがありNASAの宇宙服と比べ以下に画期的な宇宙服であるかが示されることになるはずだ。
これだよ、これ。私はそんな新技術や驚きのアイデアなどに萌えたかったのだ。
もしかしたらシリーズ構成として、ゆかり視点が段々と宇宙開発全般を広く認識できるようになっていくこと、を意図しているのかもしれない。だとしたらなかなかに思い切った構成であるが、せっかくの宇宙モノ企画である。ロケットと宇宙そのものの魅力を早目に出しておいて欲しかったと思う。
いずれにせよ残り2話、楽しみである。
そして是非、次のミッションである「私を月まで連れてって」の新シリーズにつなげて欲しい。
土曜日, 4月 21, 2007
アニメ:ハルヒ厨の異常な愛憎 ~あるいは私は如何にしてスルーするのを止めて らき☆すた を愛するようになったか
みっくるんるん・でハルヒに嵌る
(ざっくりと略)
↓
あーぁ終わっちゃったなあ。あとはDVDで楽しむか。
次Kanon? エロゲ知らんパス
↓
ハルヒ2期は10月だと?! 消失だ消失だ
↓
らき☆すた? なにそれ。4コマ? パスパス
↓
らき☆すた2クールだと・・・・ 10月ハルヒむりポ orz
↓
らき☆すた始まる。なんかOPで騒いでるけどスルーだスルー
↓
あれアクセス増えてる。らき☆すたアンチスレからか。
山本監督たたかれてるのか。
↓
どれOPみてみるか・・・・何この電波系。頭いたい。
まあ、ダンスは狙いどおりだろう。あー萌え系ね。はいはい。
↓
本編ゆる~。けど、たたかれるほどかな?丁寧だし。
あのOPだってカメラワークとか結構いいとこあるぞ。
↓
OPサビのとことかカッコいいよな。ベースとかすごいな。
↓
らき☆すた記事増えてきたなあ。なになにイマジナリーラインが、
ほうほう、春日部がふんふん、風俗っておいおい、
↓
なんだかんだで毎日OP観てるような・・・・・
↓
あ、第2話。おお画面分割。デ・パルマかよ。
WW小ネタ詰めすぎWW
何ED前回の続きかいな。どっちの曲も全然知らんがな(w
ふつーにおもろくなってきたな
↓
あーいまーい、さんせんち
↓
あ、またOPのMADうぷされてる。 うまー wwwww
↓
某所:ちょwwwww “みWiki” って、誰がうまいこ(r
↓
DVDリリーススケジュールね。うわ、ぼったくり。まあもともと
スルーだもんね。1回みりゃ充分
↓
・・・げつよーびなのにきげんわるいの・・・・はっ、今、鼻歌してた・・・?
↓
・・・・え、オーディオコメンタリ・・・・ い、いやスルーだスルー
↓
やっぱり原作読んどいたほうがいいかな・・ ← 今ココ
↓
べ、べつにそれほど読みたい訳じゃないんだからね。(誰に言い訳してんだ)
画面演出を語るマナーとしてね・・3巻amazonポチッとな ←時間の問題
↓
・・・・・・・・・・・・そもそも京アニが4コマを持ってきたのは、
オタク主人公の自己言及を基本フレームとしてだなあ・・・・・・・
↓
地デジだ。どうせ2011年には買わねばならんのだし。
↓
何!DVD全巻予約で限定絵コンテ集だと!!!(注:妄想です)
ス、スルーだ・・・・・・・・・・・ポチッとな
↓
かがみは俺の嫁ー!!!!! いや、やはりこなたを
誰か「もってけセー(略)」の私の脳内リフレインを止めてください・・・・・
アニメ:おおきく振りかぶって 第2話・・・・・ぉ?
初回の完成度の高さの理由を確認すべく、第2話は最初からじっくり観てみることにした。深夜枠なんてもったいないよなあ。土6の「地球へ」と交代してもいいぐらいだろう。「MAJOR」にも対抗できるんじゃないかな。
さあ第2話だ。刮目して待ってたぞ。
・・・・・・あれれ~? なんか変、というか、かなり変
・・・・・・まあ多くは言うまい。けどちょっと言いたい
デッサンがおかしいとこあるし、バランスが変だし、レイアウト間違ってるような、それ以前にパースが、いやアングルというか構図か。そもそもカメラの位置を考えてだな・・・・・・
全体のプロットはそんなに変じゃない。
ももちゃんのバイト/合宿開始/三橋アンダーザプレッシャ/阿部・監督プチ対立/阿部・三橋の微妙な関係/阿部の過去ほのめかし
次回、三橋の確執のある古巣との練習試合に続く。いい引きだ。シリーズ構成・脚本はいい感じ。
問題は作画か。
皮肉なことではあるが、今回の仕上がりをみて前回「あの原作をどうやってこんなに自然にアニメ化できたのだろう?」という疑問が少し解けたような気がする。
今回の問題は、原作に忠実たらんとして、絵コンテ段階から原作に引きずられすぎた点ではなかろうか。#コミック戻ってきたら確認してみよう
マンガとアニメは表現手法は全然違う。マンガのコマをカットにしただけではただの紙芝居だ。(そうゆう意図のアニメもあるけど)
初回の完成度は、原作を完全に咀嚼したうえで、内容をアニメとして表現する最適な手法を的確に選択し、またそれを完璧に実践できた故のものなのだろう。
優れた演出は演出そのものを感じさせないものだ。(観る側が特殊な場合は除く)
初見で演出を感じてしまうようなのは、作為が浮いているか、まあ、狙いで演出自体をウリにする場合だろう。
なんで第2話が残念なことになった理由は推測の域をでないが、まあリソースが限られているということではないのかな、時間的にも人材的にも。
もしかしたら次回の試合のシーンに「動き」が描ける人を集中してるのかもしれないし。
#OPは良い。
第2話から視聴開始して「そんなに騒ぐほどのもんか?」と思った方は、是非第1話を確認して、次回を期待されたい。私は期待して待つ。
#あえてスタッフ比較はしない。
水曜日, 4月 18, 2007
ドラマ:セクシーボイスアンドロボ
黒田硫黄の作品はかなり以前に「大王」を読んだことがあり、その独特かつ異質な雰囲気が強く印象に残っていた。特に手塚のメトロポリスのカバーとか。
で、ドラマが始まる直前に原作を読んでみた。
んんん。くせがあるけど勢いあるなあ。けどこれだとロボって無茶苦茶影薄い。主人公はセクシーボイスことニコが主人公ではないか。
番宣ではいかにも松山ケンイチのロボが主人公っぽい(実際、松山初主演と宣伝されてる)。
どんな脚色してくるのかなと思ったら、ちゃんとニコが主役じゃん。ということは前宣伝の段階では大後寿々花のお茶の間への浸透度を考慮して松山を前面に出してきてたのだな。
正直言って前宣伝での大後寿々花は、原作のニコ、テレクラのバイトで大人を手玉にとるようなキャラ、とは程遠い感じがした。ルックスだけで言えば福田麻由子のほうがぴったりなんだけどな、けど声質に難があるし、などと思ってたのだが・・・
本編始まって驚いた。何、この娘の存在感。伊達にハリウッド作品(SAYURI)に出てたわけではないんだ。おみそれしました。これなら充分ロボをこき使っていけるわ。安心安心。
もっと驚いたのは最初のエピソードに「三日坊主」を持ってきたこと。原作では中盤のエピソードであり、ある程度固まってきた世界観をひっくり返す重要な話なのである。それを導入に持ってくるということは相当に原作をいじってくるつもりなのだな、と。
で、第2話。美容院に強盗のバイクが突っ込んでくる冒頭部。お、これは原作どおりかと思いきや、そこからは全くのオリジナルストーリーだ。脚本、かなり飛ばしてるなあ。
こりゃ、黒田硫黄のコミックは原作というより原案という位置づけだ。
がしかし、出来が悪いかというと、全くそんなことはない。
ドラマとして本作を構成するにあたって原作には希薄なニコの生活環境、すなわち家族や学校の会話・描写・モノローグをしっかり入れて、主人公のキャラクタを明確にするようにしている。これは、ドラマとして世界をしっかり示して、エピソードごとのテーマをより深く表現するためだろう。
第1話・2話を見る限り共通に感じられるテーマは「生きる」ということではなかろうか。
いい意味で原作を解体・再構成されてほとんど別物になっているニコとロボの世界ではあるが、もしかしたら根底に流れるテーマは案外似たようなものなのかもしれない。
原作のニコは「スパイか占い師になりたいんだ」と言う。結局これも他人の人生になんらかの形で関わりたいということである。ドラマではこのニコの思いを、社会との関わりを模索する中学生のちょっと不思議な話として再構成しているのだと思う。
今後も期待しよう。
#ところで、このドラマ松山ケンイチって、ふとトンネルズ石橋に見えてしまうことがあるのは、わたしだけ?・・・・・・(by だいたひかる)
月曜日, 4月 16, 2007
アニメ:おおきく振りかぶって
「おおきく振りかぶって」
原作が好きなので、アニメの仕上がりに興味があって、とりあえず観てみた。
第1話は(記憶の限りにおいて)驚くほど原作に非常に忠実であった。
しかもアニメとしてもきっちりまとまっている。びっくりした。
特に感心したのは声優のキャスティング。主要キャストについてはいずれも全く違和感がない。主人公の三橋のオドオドしたいじけた感じはどうなるのかと思ってたのだが、実に違和感ない。阿部君のキャラもばっちりだ。
しいて言えばモモちゃん監督の第一声が「ちょっと高くて女っぽいかな」と思ったぐらいなのだが、終盤で本領を発揮するあたりでは、そうそうモモちゃんはこれだよなあ、という芯のある声になっていてこれも無問題。
そうかあ、モモちゃん最初はネコかぶってたのかあ。これはアニメならではの感覚だな。
あと、原作ではキャラの描き分けが微妙なので、間があいて単行本を読むと「これ誰だっけ?」となることが間々あるのだが、アニメでは声優さんのキャラがしっかりしているのでこれも安心できそう。
普通、原作モノをそのまんま忠実にアニメ化(映画化)してしまうと何かしら齟齬が招じてしまうものである。視聴者が持つ原作のイメージと制作側のそれとがそう簡単に一致する訳がないからということもあるし、そもそもマンガとアニメでは表現手法・構造が元々異なるのでこれはまあしょうがないことである。
しかし、この「おお振り」では、あまりにも自然に原作をアニメとして構成することに成功している。自然すぎてどこにアニメ化での演出の工夫があるのか全く意識できなかった。
逆にちょっと悔しいぐらいだ。
今後の、三橋・阿部そしてチームの成長、さらには夏予選という物語の展開において、アニメとしての表現がどのようになるのか非常に楽しみである。
#水島監督、映画版「クレヨンしんちゃん」では、もひとつ方向性というか構成が違ってて不満だったのだけど、実はこうゆうストレートな作風の方が向いてる人だったのかな。
’07年4月期視聴予定(絶対無理・・・・・・)
メモ代わり。◎だけでも押さえておきたいところ。
海外ドラマ ⇒ モンクのつまみ食いがいっぱいいっぱいだ。
ER XII
◎名探偵モンク 4
FBI 3
CSI:6
CSI NY2
グレイズアナトミー2
ミディアム 2
ドラマ
◎セクシーボイスアンドロボ 序盤コメント 原作を大胆に再構成。大後寿々花の存在感が光る。
特急田中3号 最近「鉄」関係多いなあ。
時効警察 いい味。みんな楽しそうなのがいいな。
ライアーゲーム
アニメ
のだめカンタービレ
○おおきく振りかぶって ⇒◎×出来にムラがあるような
第1話感想 原作に忠実。キャスティングもバッチリ
第2話感想 ・・・orz ちょっとがっかり、次に期待
3話目 やっぱよく出来てる。2話目はちょっと期待が先走ってしまったか
◎聖霊精霊の守り人 だんだん盛り上がってきました
マスターキートン 改めてみる。佳作だよな。
彩雲国物語
◎ロケットガール 原作の飄々とした感じがうまくでてる。
⇒終盤で盛り上がってきた! 全体コメント
○MoonlightMile
ラブ・コン テンポがいいなあ
地球へ
◎電脳コイル 今クール一番期待している
・・・・「らき☆すた」はやめておくつもりだったんだけどなあ・・・・・
ちょっと観てみた
日曜日, 4月 15, 2007
アニメ:「らき☆すた」が賛否両論のようだが・・・・・
金曜日に妙にハルヒ関係のアクセスが増えたので「新刊が出るだけで反応があるのかなぁ」などと思っていたのだが、実は2chの『らき☆すたアンチスレ Part2』に、ハルヒ: 検証 ライブアライブとリンダリンダリンダのURLが貼られていたのが原因だったみたい。スレがdat落ちしたと同時にアクセスなくなったのでほんとに一過性だったけど。
山本監督のパクリ疑惑の文脈で参照されてたのだが、なんにせよ議論の材料として紹介していただけたのは感謝。けど、なんの説明もなくURLだけ貼られているもんだから、結局スレ上は完全にスルーだったのが、ちと残念(^^;
たぶんURLを貼った人は「確かに『ライブアライブ』は『リンダリンダリンダ』から構図を拝借しているが、単なるパクリではないよ」という例を示したかったのだろう。まあアンチのスレだから肯定的なコメントをつけにくかったのもしょうがないか。
という訳で「らき☆すた」第1回を観てみた。
せっかくだからOPとさわりに当サイト的にコメントしておこう。
ダンスの動きと音楽については散々語られているので、これは置いといて、注目したいのは美術。ダンス以外のカットの背景は実在のもので、ハルヒの時と同様に、今回は春日部でかなり細かなロケハンをしたもよう。
萌え系4コマが原作なんだから舞台のリアリティは必ずしも必要ないと思うのだけども、やはりそこは京アニ、まずは原作を背景から含めて徹底的にリサーチしたのだろう。
そもそも原作キャラがとっとも漫画的であるため非常に平面的にならざるを得ないのだが、しょっぱなの派手なダンスから、静的な春日部の風景に移行させ、ここにキャラを小さくはめこみ、リアリティのある世界と萌えキャラをうまく溶け込ませている。しかもどっかで見たことあるような仕草まで入れて、視聴者のツボをはずさず、なかなかに手が込んでいる。
本編構成も単調に見えて結構考えられている。
いきなりゆるーい女子高生のだべりには入っていない。まず校庭での情景を、短いながら丁寧に描いて、こなたの走るシーンの漫画的な表現をクッションとして本編の漫画構図のシーケンスにつないでいる。このあたりにも原作をいかにしてアニメの世界に持ってきて表現するかを考えてのことだろう
どうも件のアンチスレでは、本編のゆるさが期待はずれだったようで、「山本監督憎し」となっているみたいなのだが、少なくとも、上記のように、OPから本編までのシーケンスをみるだけでも原作を相当咀嚼して、アニメとしての表現を考えた上での形だと思う。京アニの丁寧さは決してハルヒにひけをとっていないだろう。
だから作品の評価はもう少し展開をみてからでもいいんではないかな、と思うのだが。
あと、カメラワーク的注目点はOPのチアダンスのシーン。
背景の校舎をフォーカスはずした、チア陣形を望遠で捉えた構図。望遠構図は奥行きが圧縮される。これ、平面的なキャラクターを逆手にとったものである。さらに背景の動きで横ドリーを表現するカメラワークによって、キャラのダンスに校庭での空間の広がりを感じさせている。
OPでこのチアダンスのシーンは、曲もサビの一番の盛り上がるシーンであり、サビのシーケンスでのタメから開放に繋がる流れにマッチした絵を、最小限のカメラワークで見事に構成している巧みな演出だと思う
パクリだなんだと言われているようだが、山本監督は自覚的にやっているようだし(参考エントリ)実際、演出の効果は単なるパロディではなく、なかなかに感心するところが多い。
氏の引用のセンスはもっと評価されていいのでは、と思う。
金曜日, 4月 13, 2007
ドラマ:演歌の女王 総括
4月からもう新しいドラマが始まっているのに今更ではあるが、「演歌の女王」が、なぜ、あそこまで迷走してしまったかを勝手に推測して締めくくりとしたい。
一言でいえば「製作陣全体でのビジョンの欠落」が最大原因だったのではないか、と思う。
放映終了後、脚本家や演出家が本来描きたかったものはなんだったのだろうか、と考えてみたがいかんせん手がかりがなさすぎる。話が動き始めそうに見えた5幕あたりから迷走が始まってしまったからなあ。結局数少ない伏線すら全然回収されなかったし・・・・・・・・
もしかして「脚本家も何をやりたいか考えあぐねての見切り発車だった」のか?
そう考えると第1幕以降のもたつき感もしっくりくる。とりあえず、売れない演歌歌手の背景と日常と不幸色々とを配置しておこうか、という程度の作りこみだったのでは、とか。
そのような状況として可能性として考えられるのは、
「表現したいテーマがあって売れない演歌歌手」を設定したのではなく、
「演歌(歌手)をモチーフに何かドラマを仕立てなくてはならなかった」
という類のことではないだろうか。例えば広告代理店の何かのマーケティングの一環で「演歌プッシュ」という流れに巻き込まれてしまったようなものとかね。
傍目には、脚本・演出・役者陣・土9枠、どれをとってもはずしようのない布陣にみえたのだが、やはりドラマや映画は総合力が勝負なのだ。関係者の製作へ向かうベクトルが揃わなければ、全体のパワーも勢いも全然見当はずれになってしまう。
今にして思えば、やたらと「女王の教室」がらみのキャストやネタをからめたりして数字を取ろうとしていたことや、着歌ダウンロード好調などと別方向の材料で盛り上げを煽ったりと、
妙にあざといことをしていたが、視聴率のテコ入れだけではない思惑が働いていたということなのかもしれない。
そうゆう穿った目で総括してしまうと、
中森明菜カバーアルバムで演歌歌う
という記事も、ついつい斜めに見てしまう。演歌ねぇ。これも「演歌」テコ入れの一環なのかなあ。
もしかして森進一の騒動も実は似たような狙いだったりして。
まあ陰謀論的妄想は置いとくとして、やはりドラマでも映画でもアニメでも、スタッフ全体のモチベーションを束ねられる確固たるビジョンがないことには、どうにもならんのだろうなあ、という月並みな結論ということで。
水曜日, 3月 21, 2007
ドラマ:演歌の女王 第8幕~最終幕・・・これはデッドエンドだろう・・・
最終幕、うわべのぬるーい大団円とは裏腹にバッドエンドの印象が強い。
#詳細なあらすじは、どらま・のーと をどうぞ
ヒロシからの電話の後にも「もういいや」と一度死を決意した後の
「いや、まだ私が幸せになっていない!」
という思いからの復活、そして帰還・・・・・・・
これ以降の終盤まで描写は、本当に帰還してからのことなのか?
全て、ひまわりが事切れる間際の夢なのではないのか。
・なぜいつもの病院にいる。雪山そばの最寄の病院の入院が普通では?
・エンディングの着物。なぜ仕立てが済んでいる?
紅白が決まった時に着てもらうのでなかったのか?
・病院のロビーでの独演会。いいのか?
もちろんこれらはドラマのご都合主義という解釈もあるだろう。ただこれらの不自然な描写はスタッフの意図的なものと感じる。
エンディングまでのシーンそこそこに違和感を散りばめ、最後にぷっつりと「完」。
これは典型的なオープンエンディングではないのか。
そう思ってみると他にも死のイメージが散りばめられているといえなくもない。
・ヒロシとのじゃんけん勝負「おまえが負けたら雪山へ戻れ」
・・・・これ、勝てば幸せな夢を見たまま逝き、負けたら現実に戻っての死、とも思える。
・エレベーター前で向かえる知人・家族達
・・・・まるで“お迎え”ではないか。
・髪飾りをつけるひまわり。鏡に映る姿は“左前”=“死装束”である。
・・・・このカット、後ろに立つ幸子に気がつくためのつなぎなのであるが、鏡には友子を映っていない。あえて鏡に写るバストショットを撮る意図があったようにも感じる。
・消えてゆく幸子。
・・・・ひまわりが生まれ変わる故に消えてゆくというハッピィエンドの解釈もあるが、幸子そのものの死であり、幻影としてのひまわりが残っているというようにも思える
いや、まあ、そう思えば思えてしまうだけ、といわれればそうなのだが、そう思えるような作りをしているのは意図的なのではないか。
そもそもしょっぱなから、いつもの分かれ道が“ハッピィエンド”か“デッドエンド”。
#ついでに降り立った駅が「行止」(ほんとは行上)
ハッピィエンドの反対語ってデッドエンドか? アンハッピィエンドって言葉もあるんだけどね。
dead-endは「行き止まり・袋小路」であり、「死んで終わり」という意味はない。
実はゲームでおなじみの“バッドエンド(bad end)”こそ“死による終焉”を指す。
スタッフは最初に言っていた。「ドラマを観た人達に最後に幸せになってもらいたい」、と。
たしかにハッピィエンドの体裁はとっている。
しかし、あまりにも違和感がぬぐえない。
志田先生・温水刑事の身の振り方などとってつけたような説明。もしかしたら本来はもっとメインにからむエピソードがあったかもしれない
そもそも最大のバックボーンであった父親との再会が全てを否定して絶望をもたらすだけのものだったという結末。本当にこれが狙いだったのか。
予定されたエピソードも伏線もまともに回収できない。
ハッピィエンドでもアンハッピィエンドにもできない。
最後まで迷走したスタッフの苦悩を感じずにいられない。
行止り・デッドエンド これがスタッフの選んだラストだったのだろう。
#第8幕・第9幕については完全に書く機会を逸してしまった。
まずは、ドラマ終了をかみ締めて、次の福田麻由子を心待ちにしよう。
“セレンディップの奇跡”見逃した・・・ orz
水曜日, 3月 07, 2007
ハルヒ:賀東ブログ
ここ数日“賀東昭二 ブログ”の検索する人多数。なんでだろ、と思ったら、賀東招二さんだったのですね
・・・・・・・・うかつ
#長門由紀もいまだに検索1位なんだよなあ・・・
そんなわけで賀東招二氏のブログはこちら GATOH.COM blog style
どうも3月下旬に「フルメタル・パニック」の新刊がでるようです。検索が増えたのはこのせいかも。
で、賀東氏は「フルメタ」原作者としての知名度が圧倒的なのですが、このサイト的には
「射手座の日(放映11話)」の脚本担当であることが重要なのは言うまでもありません。
件のブログでもそのことにチラッと触れられています。
某アニメの脚本日記
いや、あの。
なんか楽しそうだったから混ぜてもらっちゃった^^;
関係者の皆様、ありがとうございました。
こういう機会があったら、また是非是非よろしくお願いいたします。
投稿者: 賀東招二 日時: 2006年06月12日
この後のコメント欄での反応もちょっと面白いです。
月曜日, 2月 26, 2007
ハルヒ:「ミクルの冒険Episode00」の必然性
演歌の女王のフォローがいっぱいいっぱいでハルヒ関係は月間になってしまってハルヒネタ期待の方には申し訳ありません。けどアクセス解析をみると、ここのところハルヒねたでこられる方で少なからず隅から隅まで読んでいってくださる方が増えているようで、ちょとうれしいです。
2月もなんとかハルヒのエントリということで「ミクルの冒険」(以下「冒険」)についてちょっと語らせていただきます。
放映開始での「冒険」のインパクトはいうまでもありませんが、ちょっと気になってたのがDVD版でも最初にリリースされたことです。しかも番外編という形で。
まあ常識的に考えれば
・インパクトのあるうちにDVDをリリースをして勢いをつけておきたい
・時系列にこだわると第6巻で「冒険」「ライブアライブ」のカップリングとなり、最大の山場である「ライブアライブ」とのギャップが大き過ぎる。
といったことが考えられるので、やっぱり番外編・パイロット編としての位置づけが自然なのだろうなあ、と納得してました。
で、ハルヒのカメラワークをあらためて確認していて、ハルヒ最大のポイント「一人称視点」の演出を深く知る過程で、「冒険」DVDにおいても最初に来るのは必然であるということがわかりました。
一人称視点演出、ハルヒはこれに始まりこれに終わると言い切ってもいいでしょう。これをアニメでどのように表現するかは相当悩んだということはスタッフのインタビューでも語られています。で、実際の演出はどうかは、物語の開始である「憂鬱Ⅰ」(放映2話)でいかんなく疲労されています。本サイトでも、一人称視点が多様なカメラワークでどのように描写されてきているのはいくつか解説してきました。以降の話でも、最終話「サムデイ・イン・ザ・レイン」を除いて、一人称視点の演出は工夫・徹底されています。非常に丁寧な演出によって、視聴者はこの一人称視点の縛りをほとんどかんじなかったのではないでしょうか。
インタビューによると、制作の初期段階で、スタッフは全部カットをキョンの「見た目」視点にすることも考えたが、それだと「ジャンピング」(手塚治虫の実験アニメ)になってしまうのでさすがにやめた、と語られています。
しかし、私が思うにこの全部「見た目」という演出は、実は「冒険」でなされているのではないかと思うのです。SOS団制作のグタグタな自主制作映画をそのまま本編とするという視聴者の度肝を抜いた体裁でついつい忘れがちなんですが、よく考えてみると、この映画は完全なキョンの「見た目」なんですよね。カメラというワンクッションはありますが。
「冒険」は自主制作映画を完全に再現することにより、普段は視聴者に意識させない「カメラ」の存在を強烈にアピールしています。この話の主人公は他でもない「カメラ」なんですね。そしてファインダーを通してこの世界を見つめていたキョンがつっこみをいれています。このエピソードによって視聴者は、「見た目」の視点を完全に刷り込まれ、これ以降のエピソードでの視点のベースを自然にキョンにおくことができるようなっているはずです。
このアニメは「キョンが世界につっこみを入れていくのをキョン視点で追いかける」ということです。
ですからDVD版においても本編の導入部として「冒険」は最初でなくてはならなかったのでしょう。
ここでさらに驚くべきことは「冒険」(メイキングである「溜息」ではなく)が既に原作に最初からあった、ということです。これを採用した京アニも凄いのですが、スタッフ達は採用決定時点で改めて「ハルヒの手のひらの上にいる」ということに思いいたったのではないでしょうか。作品世界にこれを準備していた谷川流より、ここはやはりハルヒ恐るべし、というところでしょう。
日曜日, 2月 25, 2007
ドラマ:演歌の女王 第7幕 ラストまでの方向性は定まったとみた。
第7幕は前回のようなトリッキーなカメラワークは少なかったです。やはり前回が異質だったようです。
これは全くの憶測なんですけど、第6幕で大幅なシナリオ変更があったのではないでしょうか。長回し・アップの多様・隙間からのショットなどトリッキーな撮影は、土壇場での変更に対応するための苦肉の策だったのではないか、という気がします。この仮定から主な変更点がどこかと推理すると、萩本社長のエピソードがその可能性が高いです。
・全くの前フリなしでの離婚危機と事務所崩壊
・萩本社長がらみでのトリッキーなカメラ演出
長まわし:ひまわりのアパートでの離婚話、カラオケ教室でのやりとり
電話越しでの会話の多様、限定アングルからのカット多様
飛び降りを決心した屋上でのカットのアオリアングル
⇒空だけ写せばどこで撮ってもいいので辻褄あわせに使われることが多い。
・分かれ道のシーンにCG無し(第7幕で復活)つまり分かれ道の設定自体も変更あり?
以下、勝手な推測:
ヒロシの母を演歌で正気に戻すくだりの伏線回収があまりにも急だったのは、このヒロシの母のエピソード展開を軸に再構成した。
ヒロシの母については第7幕で真佐美との関係も含めて整理されているので、その後の地方営業への展開につなげるために萩本のエピソードを急遽準備したのであろう。
ならば第6幕で本来入るはずのエピソードは? これは、ひまわりの母と弟の話でしょう。この話はあまりにも急にまとめすぎです。だいたい傷害事件まで発展させておいて血を分け合ってめでたしめでたしって、いくらなんでも脚本が破綻してますがな。お陰で温水さんがまともにからんでこなかってでないの。最後の看板いたずらのとこだけ。あれだって、ひまわりの行動パターンからは逸脱してます。本当ならば第5幕・第6幕ぐらいにわたって親子関係の修復をじっくりとまとめ、最終回での父親との再会へつなげるつもりだったのではないかと。
方針変更はわりと明確で、
・1回ごとに話を回収する。単発で観てもそこそこ楽しめるように。
・エピソードの密度を上げてテンポを良くして視聴者をあきさせない。
・悪役のキャラをはっきりさせ、それを改心させるなどしてカタルシスを得られるように
・ある程度ヒロシへ駄目出しをして視聴者のフラストレーションを解消してあげる。
・特に天海キャラの強さをはっきりとする方向へ。
てなとこでしょうか。
酒井若菜のブログによると、第7幕の撮影終了は2/18だったようです。これ第6幕放映終了の翌日ですよ。編集作業その他を考えるとこの時期にしては結構押しているのでは。いわるゆ「撮って出し」ってやつ?
#まあ、TRICKでは次回予告が「まだ出来てなーい♪」ってこともあったけどね。
んー、本当のところはどうだったのかなあ。放映終了後に関係者から現場の情報があがらないなあ。
色々な意味で残り3回の展開を楽しみにしましょう。
#福田麻由子の扱いももうちょっと考えておくれ・・・・・・・・・
天海とのセーラー服対決は、ちょっと笑ってしまったが、もうちょっと台詞回しをひねってほしかったな。
水曜日, 2月 21, 2007
ドラマ:演歌の女王 第6幕 色々な意味で面白かった。ほんとに
正直、面白かった。最初からこのような構成・演出にしていたら15%以上の数字は確保されていただろう。ビデオ(もしくはハードディスク)に撮りだめしたままのあなた。騙されたと思って、第6幕(2/17)を観て欲しい。放送当初と似たような構造なのに、ここまで印象が変わるのか、と驚くであろう。
時間がないのでざっと印象を。
個人的に特にびっくりしたのはカメラワークである。
序盤のひまわりのアパートのシーンから、広角レンズの長回し。しかもかなりのハイテンポ・ハイテンションである。次のカラオケ教室での天海・段田の長回しでのやりとり。さすがである。役者の力量がいいテンポを生み出して、ここでのテンポのよさが終盤まで続く。
中盤以降もかなり大胆な構図、カット割りが続く。正面バストショット想定線上でのカット割り。俯瞰・あおり、はては実相時カットまで。好き放題と言ってもいいほど。けど、これらの演出全般が妙に今回のテンポにははまっていた。
カメラワークが気になる自分にとって、とぉっても満足でした。はい。
ただ・・・・・・
これがスタッフ達が目指した形のコメディだったのか、という点では疑問が残る。あまりにも伏線みえみえかつ予定調和な物語の回収(痴呆症の田丸母を演歌で正気に戻させる、など)。1話内で視聴者を満足させるべくのプロットの変更があったのではないか、という疑念がぬぐえない。今回の演出パターンの大幅な変更は、「単純に視聴者を楽しませるだけならいつでもできるんだよ」みたいな開き直りなのだろうか。
今回の長回しの多用も、もしかしたらシナリオ変更の影響なのかもしれない(だとしても結果オーライだが)あとTV局内でシーン、照明ミスのハレーションなど普通ならNGであろうと思われる絵が多々あったし。
低視聴率による打ち切り観測記事がうるさいようで、内部でもスポンサー向けに色々と大変なのであろう。テコ入れも随分強化されている(ハケンの品格との抱き合わせのSP、MusicLovers平井堅・天海競演、ズムサタのバックアップなどなど)
残りの展開を察するに、どうやら私が当初想定したような、「コメディの皮をかぶった社会派メッセージドラマ」の可能性は少なそうだ。ただ、まだまだ色々とやってくれそうな気配は濃厚である。折り返しを過ぎて、あと4回。どのように転んでも見物である。
どうか打ち切りになりませんように。
#Wikipediaに7幕が最終幕となっていたけど、さすがにこれは飛ばしだろう。
・・・・・って見直してみたら修正されてた。魚拓とっとくんだった。
他のブログでの第6幕レビュー
どらま・のーと 演歌の女王 第六幕『初の生熱唱が奇跡を起こした!!』
救え! 演歌の女王!!(Muhoの日記)
月曜日, 2月 12, 2007
ドラマ:演歌の女王(第五幕) なんだか普通になってきちゃったなあ
前回(第四幕)から、これまでの配役が絡み合い始めてきて物語が動き始めてきた、と思ったのですが、
第五幕を観て、もしかしたら一般にわかり易い展開になるようにシナリオに手が入れられてしまったのでないか、という気がしてきました。
その一番の理由は、今回のトラブル「母と(腹違いの)弟との家族の絆の崩壊」が、あっさりと(まあ、命がけですけど)回収されてしまっているからです。この設定、こんなに簡単にまとめちゃっていいんですかね。父親との再会まで繋がる話の流れでそれなりに重要な部分だと思うんですが。どうも一話ごとにきれいにまとめて視聴者に安心感やそれなりのカタルシスを与えるようにしてしまったような気がします。
あとラストで次回のトラブルが出てきてない。しいて言えば痴呆症の秘密を打ち明けてしまうところが引きといえばそうなのですが、これもいつものパターンと違う。次回予告で池内淳子の痴呆症の話ということがわかるんですが、ならばもっと強烈な引きにしてもいいと思うんですが、やはり話ごとに綺麗にまとめようとしてるんでしょうか。
全10回ですから折り返しなので、話を回収する方向に持っていっているのかもしれませんが、いかんせん、低視聴率だの打ち切りだのと外野がうるさいようで、観る側も「テコ入れかなあ」などと感じてしまうのもちょっとなんですね。
なんだかんだ言っても、このドラマのメッセージ性にはかなり共感かつ期待しているので、今後も軌道修正されていないことを願っています。
#もう、どうころんでも最後まで付き合うもんね。
#その他いろいろ
・今回も「女王の教室」から出てましたね。真鍋 由介(松川尚瑠輝)。璃子ちゃんを袖にするとはもったいない。
・ホストクラブでのBGM Word Up / Cameo なつかしい。おばさま向けなのね。
・今週の貞子。スクラップ芸人になってまんがな。あと、なぜウルトラQ (^_^;)
・エンドロールに「赤いプルトニウム」・・・・・また微妙なところを。
木曜日, 2月 08, 2007
ドラマ:演歌の女王(第4幕) なんか噛み合ってきたぞ
演歌の女王 第4幕。
ん? なんかテンポよくなってきたような気がしました。
パターンが固まってきたので観ているこちら側が慣れてきたのか、それとも意地でも楽しんでやろうとして観てる気合の賜物か。
特に、毎回繰り替えされるこのドラマでのメインメッセージ「ひとりぼっちはさみしいんだよ」が、どうにも心に響かないなあ、とおもってたんですが、
今回ようやく、真佐美(酒井若菜)へのこのセリフで、メッセージがストンと腑に落ちました。
2幕・3幕での児童虐待といじめにおいては、いずれも加害者と被害者という構図で生じているものです。普通は加害者の非を責め被害者をいたわるという流れですよね。ところがこのどらまでは、ひまわりは加害者に対して啖呵を切ることはするが、あくまで妄想の中だけであり、お茶を濁すのが精一杯。そして被害者へは「ひとりぼっちはさびしいよ」という、励ましとも慰めともつかない、一向に解決にならない言葉をかける程度。こんなメッセージで何を訴えようといういうのだろう、かと訝っておりました。
で、第4幕。執拗ないやがらせをする真佐美(酒井若菜)は、自分さえ幸せであればいいと考える故の加害者ではあるのですが、そうなってしまった原因は社会の理不尽さにもあるため、ある意味被害者でもあります。ですから今回の「ひとりぼっちは…」のセリフは、「本当にそんな生き方でいいのか、本当にそれで幸せといえるのか」というストレートな問いかけになっています。
そう考えてみると、施設へ行くという信くんへの問いかけや、学校から逃げようとする貞子へのセリフは「今の境遇から逃げるために一人になってもいいのか?、誰かと共に生きて幸せをわかちあえなくてもいいのか」という問いかけになっていたといえます。
「女王の教室」では超絶的な意志を持つ阿久津先生が示す行動とメッセージによってクラスと教師・親達が変わっていく様が描かれていました。ドラマのご都合主義で終わらせず、視聴者にまでも問題意識をいだかせる見事な構成でした。
今回のスタッフはさらに野心的なことを構想したのでしょう。
カリスマに頼らず、誰にでも、日本一不幸な演歌歌手にだって、言える一言
「ひとりぼっちはさびしいよね。」
このワンフレーズで世の中を明るく変えていこうとしているのではないでしょうか。
『たとえ不幸でも、今の境遇から逃げないでこの世界を生きていこう。一緒ならなんとかなるよね。誰だって誰かを少しぐらいは支えていけるでしょう』そんなメッセージを感じます。
「がんばれ」じゃなくて「わたしは一緒にいるよ」という一歩踏み出した応援、というか
かなり控えめな「ペイ・イット・フォワード」みたいな。
天海をはじめとした従来と正反対のキャラ設定も、毎回のトラブルを単純な勧善懲悪で収拾せずにプロットを展開させていくのも、視聴者に対して単純な感情移入や予定調和をさせないための仕掛けなのではないか、などと考えてしまいました。
次回は、ホスト遊びに明け暮れる母親の話。やはり「ひとりぼっちはさみしいよ」となるのでしょうか。どのような展開なのか楽しみです。
ところで視聴率は・・・・・・・・・・・・・9.9%(前回8.5)
んー、微妙。特番編成が一段落してきたから潜在的な視聴者が生視聴に戻ってくるころなんでしょうか。今回は多少は視聴者をひっぱってくれていそうなので、次回2桁に戻して、打ち切り不安を回避してくれることを祈ります。
その他雑感
・温水さんと志田さんは、不祥事担当じゃなくてパターン踏襲を担ってるんですね。
・ひまわりがため息をつくと福田麻由子の出番。同居人が出来て部屋での出番が減るかと心配したんですが、どこでも出てこれるようです。よかったよかった。
・不死身のひまわり。この展開はもしかしたら・・・・・ままゆが・・・・・夢オチ
てなことはないだろうなあ。
・妄想シーンとの切り替えは照明の色温度の違いが目安かな。
・演歌熱唱の導入カットでのカメラがぐるぐるする(360°ドリーとかスピンアラウンド というらしい)パターンがなくなった。歌唱シーン自体も短くなってる。このほうが流れはいいと思う。
月曜日, 2月 05, 2007
訃報:大杉君枝アナウンサー(旧姓 鈴木、日本テレビ)
大杉アナの訃報(asahi.com)
私個人としては「所さんの目がテン!」のアシスタント(初代)としての活躍があまりにも強烈だったため、報道・紀行もの・皇室系などでの自然な落ち着いたナレーションを聴く度に「ああ君枝ちゃんのフォーマルバージョンだぁ」と喜んでいたものです。こっちが本業なのにね。
「あるある疑惑」以来、情報バラエティ番組が軒並み疑われている今日この頃ですが「目がテン!」に関しては、うけを狙いながらも科学番組の姿勢としては極めて真面目なことが改めて評価されています。思うに、番組がここまで続いてきているのも、初代からの所さん・レポーター・アシスタントの絶妙なバランスの賜物であり、特に初代アシスタントの鈴木君枝アナの
当時としては女子アナの範疇から大きくはみ出したキャラによるところが大きいのではないかとさえ思います。
復帰後の新たな活躍も楽しみであっただけに、この訃報は残念でなりません。
謹んで大杉君枝氏のご冥福をお祈りいたします。
投稿者
DWEI
時刻:
12:34 午前
|
水曜日, 1月 31, 2007
ドラマ:それでもまだ演歌の女王を楽しむために
第3幕 8.5%・・・・・・・・・・
みんな、
ついてこ~い! (by 佐久間一行)
まあ、なんとかまだ踏みとどまったかな、という感じです。
が、この先も厳しそうです。ドラマ関係のブログをちらほらと見てみたんですが、ぼちぼち離脱というところもありました。
実際、素直に楽しめる要素が少なすぎ。感情移入できそうなキャラはいないし、ギャグも微妙にずれてるし、爽快感もさほどない。児童虐待・いじめ問題、どっちについても何の解決もメッセージもない。あるのは「ひとりぼっちはさびしいんだよ」という切なる訴えだけ。
脚本の人は「ひまわりが不幸を呼び込んで周りの人が幸せになるという話」って、ほんとかぁ?
けどね、私は付き合いますよ。「演歌の女王」という作品、今回はスタッフが相当ひねって来たチャレンジングな作品なのか、ひねりすぎて明後日の方向に行ってしまっただけなのか、じっくりと見極めさせてもらいます。
そうゆう訳で、まだまだ「演歌の女王」を楽しむための心構えを並べてみました。
1.いつもと違うキャラを楽しむ
天海祐希 自立した颯爽なキャラ ⇒ 状況に流され不幸を呼び込むダメンズ
福田麻由子 シリアス・綾波系 ⇒ シニカル・コミカル・おませ
原田泰三 熱血系 ⇒ 生きててごめんね・ホリケン系
成海璃子 可愛 ⇒ いじめられっこ・貞子
酒井若菜 天然・ぶりっ子 ⇒ ヤンキー
どれをとっても役者さんの持ち味や期待されるイメージからあえてはずしてるように思えませんか?まあ、酒井若菜はどんな役でもこなしてしまうのですが、やっぱりその変わり身の見事さは見所ですね。これらのキャラ設定は伏線なのか終盤での展開があるのか、期待しましょう。
そういえば温水さんはそのまんまだから、これはこれでなんかあるかな。
2.伏線を探す
第3幕の前にやってた特番で、賞状やトロフィーに記されていた「島津」「信友」の姓について「今後のストーリー展開に関係してくるので覚えておいてね」と、わざわざ念を押していました。ごく普通の室内描写だったので覚えてない人結構いるんじゃないかな。しかも第3幕の最後で家財道具がすっからかんになってしまったので今後は写らんだろうし、伏線としては難しいのでは。質流れか何かになって誰かに渡る、という展開かもしれません。
また、第1幕、2幕で繰り返された、ひまわりのじゃんけんの弱さが貞子の説得に使われたり、信君が熱心に遊んでいたゲーム機を壊すので貞子の運の悪さを示したり、と、実は細々と後につながる描写をはさんでいるようです。ですから弁当屋の店長のiPodを揚げてしまったのも、信君が熱心に英語の勉強をしているのも、選挙のポスターも何かの伏線かもしれません。
赤い反物はまだ残っているのでこれもひっぱるのでしょう。ほんとに紅白に出るとか。
3.女王の教室つながり探し
スタッフ・主要キャスティングだけでなく、6年3組のメンバーもさりげなくゲスト出演してるんですね。 どらま・のーとに詳細がチェックされています。女王の教室との対応は、女王の教室公式サイトの6年3組のページを参照のこと。
#みんな大きくなったなあ・・・・
追記: こちらのサイトもキャストの詳細なチェックがありました。
シャブリの気になったもの:演歌の女王 第三話
4.ツッコミ
元マネージャの萩本(段田安則)の薀蓄、ベタですよねぇ。え?毎回しょーもないですと?勘違いしてはいけません。ここはギャクではありませんよ。ボケたらツッコむ。最低限の礼儀ですね。ですからこうゆう時はテレビに向かってひまわりと一緒に突っ込みを入れてあげる、これぞ大人のコミュニケーションです。
「かきけけこ、ですけど」
「いつもこんなの持ち歩いているですか」
親切かつマイルドな突っ込みです。
次あたりからはノリツッコミを期待しましょう。
えー、当サイトは「演歌の女王」を応援しています。
・・・・・・ほんとだってば
日曜日, 1月 28, 2007
「演歌の女王」エントリ・関連情報サイトまとめ
「演歌の女王」応援もかねてエントリインデックスや関連情報をまとめておきます。
・・・・・・結局、迷走したまま終わってしまった。残念。
本サイト関連エントリ
ドラマ:演歌の女王
ドラマ:演歌の女王(2)
ドラマ:演歌の女王(2)追記
ドラマ:演歌の女王 視聴率が・・・・・
ドラマ:それでもまだ演歌の女王を楽しむために
ドラマ:演歌の女王(第4幕) なんか噛み合ってきたぞ
ドラマ:演歌の女王(第五幕) なんだか普通になってきちゃったなあ
ドラマ:演歌の女王 第6幕 色々な意味で面白かった。ほんとに
ドラマ:演歌の女王 第7幕 ラストまでの方向性は定まったとみた。
ドラマ:演歌の女王 第8幕~最終幕・・・これはデッドエンドだろう・・・
ドラマ:演歌の女王 総括
外部関連情報サイト
演歌の女王公式サイト(日本テレビ)
ドラマ視聴率(07年1月スタート)(Audience Rating TVより)
ドラマレビューサイト
どらま・のーと 演歌の女王 あらすじ詳細 女王の教室関係チェックも細かい
新 酒井若菜診断室
酒井若菜のブログ 収録にからむ話題もちらほら
土曜日, 1月 27, 2007
ハルヒ:見た目のカメラワーク(3) フォーカス
DVDは7巻までリリースされましたが、こちらは今だに「憂鬱Ⅰ」(放送第2話)の演出分析だったりして。
(その2から予告しておきながら1月たってしまった・・・・・・)
さて見た目のカメラワークその(3)「フォーカス」です。
以下は席変えの前、キョンとハルヒの会話が成立した後の1シーンです。
最後のみっつの絵はキョンの「見た目」のカットですが視線は移動することなく固定された構図となっています。
もし、キョンがハルヒの行く先をとても気にしているのならば、ハルヒにフォローする形でズームやパンによって目で追っていることを強調したでしょうが、ここでは構図が固定されています。ということは、ここはまだ、キョンはただなんとなく「どこに行くのかなぁ」程度の注目しているんだよ、という印象を与える演出です。
しかし、ここで谷口の割り込ませて、視点フォーカスをハルヒ⇒谷口へとワンテンポ遅れて切り替えるという効果を加えることにより、その印象は塗り替えられます。谷口の割り込みにちょっとびっくりさせられたという感じが明確になるとともに、たぶんキョン自身も意識していなかったハルヒへ注視が表面化します。視聴者がキョンと視界を共有することにより、ハルヒへの視線の感覚をも自然に感じさせることに成功していると思います。
ちなみに、
固定構図におけるフォーカスの変更は、構図に奥行きのある場合、例えば役者2人が手前と奥にいるような場合に注目すべき対象を切り替える、というのが典型的な使われ方です。廊下のような狭い空間で向かいあっての会話だったりすると横からの構図は取りにくいですよね。そこでフォーカスを使ってカット割やズームを用いずに視線を誘導するわけです。
#無理にカットを割ると向きが正反対の構図に切り替わるので画面がばたばたしてしまいがち。(いわゆるイマジナリーラインへの抵触) ドラマ観てると結構そんなんがあったりします。
金曜日, 1月 26, 2007
ドラマ:演歌の女王 視聴率が・・・・・
ドラマについてはできるだけ予備知識を持たないで観ようと思ってたのですが、以下の記事を見つけてしまった・・・
主演ドラマでブレーキがかかった天海祐希は選択を間違えた(Yahoo ニュース経由 日刊ゲンダイ)
記事を要約すると
・初回視聴率は10.9%と低調
・役の設定が天海に合っていない
・企画段階でNGにすべきだった
とな。
作品の出来は必ずしも数字ではないし、土曜9時枠に持ってくるからには日テレも天海祐希も企画にはそれなりの考えで挑んでいることでしょう。
ただ、第1回・第2回の出来はどうだったかというと正直言って微妙。わたしなんかは企画意図を勝手に期待して、あれが伏線か、この配役の絡み方はとか、メッセージ性をもたせるのはこのあたりかなどと、楽しんではいますが、一発のドラマとしてはいかんせんツカミが弱い。事実第2回の視聴率は9.5%と下がっていて今クールドラマ中最下位になっています。(Audience Rating TV より)
視聴率で作品の良し悪しを計る気は毛頭ないのですが、一桁という低視聴率が続いてしまうとさすがに打ち切りの可能性が出てきてしまいす。そうすると(たぶん)周到に準備されていたストーリー展開や伏線がほったらかしで無茶なエンディングになってしまうかもしれませんし、もっと悪くするとテコいれによって企画意図を捻じ曲げてでも数字を取りにくることになるかもしれません。
この「演歌の女王」、あんまりパブリシティはってないんですよね。日本TVなら情報番組を総動員して宣伝かけてくるのが常なのに今回は妙に少ないです。単純なコメディならいくらでも宣伝のしようもあるはずなのに・・・・・だからかそ逆に宣伝し難いような展開を期待してしまうわけですが。
という訳で、当ブログは弱小ながら口コミを期待してしばらくは「演歌の女王」の応援に力をいれていきたいと思います。もちろん演出面を重点的にですが。
まずは番宣フォロー。
第1話・第2話のダイジェストと予告の特番があります。とりあえずここからでも追いついてください。(公式サイト ニュースより)
1月27日(土)15時00分~16時00分
『第3幕まで待ちきれないッ!「演歌の女王」天海祐希が本領発揮 いい加減目覚めろよSP』放送
(日本テレビ・福岡放送・鹿児島読売テレビにて放送予定)
#踊る大走査線だって初回は演出が多少上滑りしてたとこもあったんだし・・・まだまだ期待は捨てないです。
水曜日, 1月 24, 2007
ドラマ:演歌の女王(2)追記
最初に「このドラマは単なるコメディではないはず」と書きました。第1回、2回と予告を振り返ってみると、もう既にその片鱗は見えているような気がします。
第1回こそ、元彼に性懲りも無く騙される不幸な売れない演歌歌手、という一味違った設定がどうなるかなあ、という感じでしたが、
第2回は育児放棄・虐待、第3回は(予告の感じではたぶん)学校でのいじめ、がネタです。
これって考えてみたらコメディのネタとしてやるには結構リスキーですよね。育児放棄については掘り下げていくとどこまでも深みにはまってベタベタかぐたぐたにしか収拾がつかなくなりかねないのですが終わってみると結構軽くまとめられています。コメディとしての爽快さはもひとつですが、次回のいじめと畳み込んできているので、これは回を重ねるごとに少しずつネタが絡み合ってくることを期待していいのかな、と。
今後も社会的なネタ(というか問題)をしれっと扱うのでしょう。その都度、ビシッと啖呵をきるが、それ妄想。結局はずるずるとまた不幸を背負い込む、次の不幸へと続く、ですね。
まだ10回ぐらいありますので、ネタとしては、
・老人介護・鬼嫁 ←これは第2回の池内淳子・酒井若菜への伏線でガチ
・医療問題 ← お医者さんも既にレギュラー、エンドロールでも伏線あり
・警察官不祥事 ←これもレギュラー 痴漢冤罪あたりかな
このあたりはカタいでしょう。
あと、政治家の汚職とかもあるかなあ・・・・・おっ、それなら気になってた選挙のポスターもからんでくるな。これで5個。あと、ニート・フリータ問題、外国人労働者、リストラでしょ。
タイムリーなとこで「ホワイトカラーエグゼプション」「あるある詐欺」「不二家」「事務所費問題」・・・まではちょと無理か。
最終回でこれらの不幸にどうカタをつけるのかに注目しましょう。
ドラマ:演歌の女王(2)
第2回目。いきなり福田真由子が視聴者の質問に答えます(なぜかベストヒットUSA風)
まあ、これは第1回ダイジェストですな。あと福田真由子が主人公の幼少時で妄想内の語り相手、という設定がわかり難いので、これを改めて説明という予防策も兼ねていると。
むふふ(*^_^*)今回は中学生時代の回想でも出てきたし。毎回確実な出番がありそうで喜ばしい。
#ベストヒット風のセットはエンドロールでも出てくるので適時まとめ展開の時に使われそうです。
さて本編について。どのような展開を見せるかを期待してましたが、なんと初回と全く同じパターン踏襲ときましたか。
・前回から引いた厄介ごとにまきこまれる。
(厄介ごとの原因は元彼)
・決断の分かれ道にたつ、で、不幸な方向を選択
・理不尽な相手を啖呵をきってぶちのめす、が、それは妄想
・ちょっとすったもんだがあって、とりあえずのまとまるが、
・結局不幸が増えただけ
・で、最後にまた厄介ごとが・・・・・ 続く
しばらくはこのパターンでしょう。ここからのどのようにパターンを“はずす”かが見ものですね。単なるコメディではない、と予想してましたが、逆にベタなパターンをひねってくるのかもしれません。観るほうもそろそろテンポに慣れてきたので、細かい演出で楽しませて欲しいところです。
次回に引っ張った厄介事は元彼の援交相手の中学生。成海璃子だよな。公式サイトをみると役名は“五味貞子”。
・・・・・・あれ、貞子だったのか。いや、素は可愛いのに陰気なキャラみたいだったんで、てっきりMr.インクレディブルのヴァイオレット(お姉さんね)をイメージしてたかと。
次回予告を見ると、中学生相手に「いいかげん目覚めろよ!」って、天海さん「女王の教室」モードになってますよ。まあ、これ妄想中のことなんでしょうが。
#たぶん終盤でリアルに啖呵きるシーンが出るでしょうね。そこでのカタルシスが楽しみ。
あと酒井若菜がちょびっとダークサイドを見せてくれました。そうそう彼女も本領発揮してくれそうでこれも楽しみ。元彼のお母さん(池内淳子)が痴呆症が出始めたというのもこれからの不幸の伏線ですね。
あと全然本質的ではないのですが、ひとつ演出なのかどうか気になったシーンがありました。信君(元彼の子供)のアパートの外のシーン。妙に目立つ選挙ポスターが張ってあったんです。本物ならば選挙法上まずいだろうし、伏線にしては弱いし、なんだったんだろ。なんか写ると都合の悪い看板でもあったのかな。それにしては色使いとは派手で不要に目立ちすぎ。
んー気になる。
木曜日, 1月 18, 2007
月曜日, 1月 15, 2007
ドラマ:演歌の女王
正月特番も終わり、今クールの番組も一通りスタートをきりました。
期待作は日本テレビ(土曜21時)「演歌の女王」です。あの「女王の教室」のスタッフが本作では天海祐希を徹底的に不幸におとしめるコメディとのこと。
「女王の教室」は個人的にオールタイムベスト5に入れておきたい傑作でしたので、否が応でも期待は高まります。さらには、先クールで「のだめカンタービレ」(フジTV)という屈指のコメディが出た後ですので、ハードルも相当高くなっているので、これをどう超えていくのかも興味あるところです。
で、第1回。新聞のテレビ欄以上の予備知識無しでみたのでなにがうれしかったといて
福田麻由子
ですよ。天海祐希とは競演3回目。仮にハルヒを実写化するのならば長門は是非彼女に、と願ってやまないのは相変わらずでして、ほんとにもう完全に女優としての貫禄がついてきてます。年末のCBC「スジナシ」では、その演技力(全てアドリブ)で鶴瓶を驚愕せしめたのも記憶に新しいところです。白夜行(TBS)の2話以降を雪穂=福田麻由子でリメイクしてくれないかなあ。毎年(北の国からみたいに)特番にして20年がかりぐらいで
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・すみません。福田麻由子のことになると箍がはずれてしまいますので、話を戻します。
えーと、「演歌の女王」第1回。
「演歌歌手」・「不幸」・「コメディ」と銘打ってますが、はっきり言って信じてません。
なぜならば、「女王の教室」が“鬼教師と生徒達との戦い”という形で始まり、それをエスカレートさせた形で発展させていったにもかかわらず(実際、仕込みかもしれないけど、賛否両論があり、放送中止の声もあった)最終的には骨太の強烈なメッセージを持った作品に仕上げられていたからです。
本作はどうか。第1回は「昔の男に相変わらず騙される売れない演歌歌手」という、ベタな展開でした。コメディとしてはもう少したたみかけるようなテンポがいるのではないのかなあという気もしますし、同様な展開が毎回エスカレートしていくのかなあ、という感じもします。
しかし、第2回目への引き(昔の男の子供登場)や次回予告の「やっぱり誘拐犯?」というあたりはプロットにかなりの伏線を仕込ませているように感じます。エンドロールで登場している役者さんたちの顔ぶれを見ても、かなりのひねりがあるような気がしてなりません。
とすると、今回のちょっともたつき感は全体プロットのための下準備なんだろう、とポジティブに解釈しておいて、新しい切り口のコメディなのか、それともコメディの皮をかぶった新機軸なタイプのドラマなのか。さらに期待を膨らませて次回を待ちます。
#酒井若菜がちょい役とは思えないなあ。きっと大きく絡んでくると思うのですが。