木曜日, 2月 08, 2007

ドラマ:演歌の女王(第4幕) なんか噛み合ってきたぞ

演歌の女王 第4幕。 

ん? なんかテンポよくなってきたような気がしました。
パターンが固まってきたので観ているこちら側が慣れてきたのか、それとも意地でも楽しんでやろうとして観てる気合の賜物か。

特に、毎回繰り替えされるこのドラマでのメインメッセージ「ひとりぼっちはさみしいんだよ」が、どうにも心に響かないなあ、とおもってたんですが、
今回ようやく、真佐美(酒井若菜)へのこのセリフで、メッセージがストンと腑に落ちました。

2幕・3幕での児童虐待といじめにおいては、いずれも加害者と被害者という構図で生じているものです。普通は加害者の非を責め被害者をいたわるという流れですよね。ところがこのどらまでは、ひまわりは加害者に対して啖呵を切ることはするが、あくまで妄想の中だけであり、お茶を濁すのが精一杯。そして被害者へは「ひとりぼっちはさびしいよ」という、励ましとも慰めともつかない、一向に解決にならない言葉をかける程度。こんなメッセージで何を訴えようといういうのだろう、かと訝っておりました。
で、第4幕。執拗ないやがらせをする真佐美(酒井若菜)は、自分さえ幸せであればいいと考える故の加害者ではあるのですが、そうなってしまった原因は社会の理不尽さにもあるため、ある意味被害者でもあります。ですから今回の「ひとりぼっちは…」のセリフは、「本当にそんな生き方でいいのか、本当にそれで幸せといえるのか」というストレートな問いかけになっています。
そう考えてみると、施設へ行くという信くんへの問いかけや、学校から逃げようとする貞子へのセリフは「今の境遇から逃げるために一人になってもいいのか?、誰かと共に生きて幸せをわかちあえなくてもいいのか」という問いかけになっていたといえます。

「女王の教室」では超絶的な意志を持つ阿久津先生が示す行動とメッセージによってクラスと教師・親達が変わっていく様が描かれていました。ドラマのご都合主義で終わらせず、視聴者にまでも問題意識をいだかせる見事な構成でした。

今回のスタッフはさらに野心的なことを構想したのでしょう。
カリスマに頼らず、誰にでも、日本一不幸な演歌歌手にだって、言える一言

「ひとりぼっちはさびしいよね。」

このワンフレーズで世の中を明るく変えていこうとしているのではないでしょうか。

『たとえ不幸でも、今の境遇から逃げないでこの世界を生きていこう。一緒ならなんとかなるよね。誰だって誰かを少しぐらいは支えていけるでしょう』そんなメッセージを感じます。
「がんばれ」じゃなくて「わたしは一緒にいるよ」という一歩踏み出した応援、というか
かなり控えめな「ペイ・イット・フォワード」みたいな。

天海をはじめとした従来と正反対のキャラ設定も、毎回のトラブルを単純な勧善懲悪で収拾せずにプロットを展開させていくのも、視聴者に対して単純な感情移入や予定調和をさせないための仕掛けなのではないか、などと考えてしまいました。

次回は、ホスト遊びに明け暮れる母親の話。やはり「ひとりぼっちはさみしいよ」となるのでしょうか。どのような展開なのか楽しみです。

ところで視聴率は・・・・・・・・・・・・・9.9%(前回8.5)
んー、微妙。特番編成が一段落してきたから潜在的な視聴者が生視聴に戻ってくるころなんでしょうか。今回は多少は視聴者をひっぱってくれていそうなので、次回2桁に戻して、打ち切り不安を回避してくれることを祈ります。

その他雑感
・温水さんと志田さんは、不祥事担当じゃなくてパターン踏襲を担ってるんですね。
・ひまわりがため息をつくと福田麻由子の出番。同居人が出来て部屋での出番が減るかと心配したんですが、どこでも出てこれるようです。よかったよかった。
・不死身のひまわり。この展開はもしかしたら・・・・・ままゆが・・・・・夢オチ
  てなことはないだろうなあ。
・妄想シーンとの切り替えは照明の色温度の違いが目安かな。
・演歌熱唱の導入カットでのカメラがぐるぐるする(360°ドリーとかスピンアラウンド というらしい)パターンがなくなった。歌唱シーン自体も短くなってる。このほうが流れはいいと思う。