月曜日, 7月 30, 2007

「時をかける少女」は無謬である

「時かけ」は理屈抜きに面白かった。

で、今度は理屈で楽しんでみる。

とりあえず「死にたい」「欝になった」類のコメントは当人側の問題なので理屈でどうこうではないのでパス。

他のコメントではダメだししているものが結構あった。
どうやらこの映画に対する否定的なコメントのポイントは、タイムリープの矛盾・設定ミス・ご都合主義というところにあるようだ。

気に入った作品については、ポカも含めてそれを“真”としてこそ、理屈での楽しみ甲斐があるというものだ。
ちょっと指摘項目を肯定的に解釈してみよう。

以下、メインプロットのネタばれに触れので未見の方はご注意。



















指摘ポイント:
最後の千昭のタイムリープで真琴の記憶が残っているのがおかしい。他のタイムリープ描写では、タイムリープの当事者以外は時間が戻る前の記憶がないはずだ。

肯定的解釈:
千昭のタイムリープの描写は真琴のものと明らかに違う。時間停止状態に真琴を巻き込んでいる。これはつまり、真琴も一緒に過去に連れて行ったという解釈するほうが自然。
真琴のリープ残り回数が元に戻ることについては、残り回数が減るのはあくまでタイムリープの行使者の分という解釈で。
インタビュー資料に「タイムリープのチャージについてはSuica理論というのがあって・・」という表現があり、これはだれがチャージを負担するか、ということを指しているものと思われる。


念のために付け加えておくと、否定的コメントに反論とか議論をふるつもりは毛頭ない。
ひっかかった点を解釈して、あくまで理屈で楽しむだけである。