水曜日, 3月 21, 2007

ドラマ:演歌の女王 第8幕~最終幕・・・これはデッドエンドだろう・・・

最終幕、うわべのぬるーい大団円とは裏腹にバッドエンドの印象が強い。
#詳細なあらすじは、どらま・のーと をどうぞ

ヒロシからの電話の後にも「もういいや」と一度死を決意した後の

「いや、まだ私が幸せになっていない!」


という思いからの復活、そして帰還・・・・・・・

これ以降の終盤まで描写は、本当に帰還してからのことなのか?
全て、ひまわりが事切れる間際の夢なのではないのか。

・なぜいつもの病院にいる。雪山そばの最寄の病院の入院が普通では?

・エンディングの着物。なぜ仕立てが済んでいる?
 紅白が決まった時に着てもらうのでなかったのか?

・病院のロビーでの独演会。いいのか?

もちろんこれらはドラマのご都合主義という解釈もあるだろう。ただこれらの不自然な描写はスタッフの意図的なものと感じる。

エンディングまでのシーンそこそこに違和感を散りばめ、最後にぷっつりと「完」。
これは典型的なオープンエンディングではないのか。

そう思ってみると他にも死のイメージが散りばめられているといえなくもない。

・ヒロシとのじゃんけん勝負「おまえが負けたら雪山へ戻れ」
 ・・・・これ、勝てば幸せな夢を見たまま逝き、負けたら現実に戻っての死、とも思える。

・エレベーター前で向かえる知人・家族達
 ・・・・まるで“お迎え”ではないか。

・髪飾りをつけるひまわり。鏡に映る姿は“左前”=“死装束”である。
 ・・・・このカット、後ろに立つ幸子に気がつくためのつなぎなのであるが、鏡には友子を映っていない。あえて鏡に写るバストショットを撮る意図があったようにも感じる。

・消えてゆく幸子。
 ・・・・ひまわりが生まれ変わる故に消えてゆくというハッピィエンドの解釈もあるが、幸子そのものの死であり、幻影としてのひまわりが残っているというようにも思える

いや、まあ、そう思えば思えてしまうだけ、といわれればそうなのだが、そう思えるような作りをしているのは意図的なのではないか。

そもそもしょっぱなから、いつもの分かれ道が“ハッピィエンド”か“デッドエンド”。
#ついでに降り立った駅が「行止」(ほんとは行上)
ハッピィエンドの反対語ってデッドエンドか? アンハッピィエンドって言葉もあるんだけどね。

dead-endは「行き止まり・袋小路」であり、「死んで終わり」という意味はない。
実はゲームでおなじみの“バッドエンド(bad end)”こそ“死による終焉”を指す。

スタッフは最初に言っていた。「ドラマを観た人達に最後に幸せになってもらいたい」、と。

たしかにハッピィエンドの体裁はとっている。
しかし、あまりにも違和感がぬぐえない。
志田先生・温水刑事の身の振り方などとってつけたような説明。もしかしたら本来はもっとメインにからむエピソードがあったかもしれない
そもそも最大のバックボーンであった父親との再会が全てを否定して絶望をもたらすだけのものだったという結末。本当にこれが狙いだったのか。
予定されたエピソードも伏線もまともに回収できない。
ハッピィエンドでもアンハッピィエンドにもできない。

最後まで迷走したスタッフの苦悩を感じずにいられない。


行止り・デッドエンド これがスタッフの選んだラストだったのだろう。

#第8幕・第9幕については完全に書く機会を逸してしまった。
 まずは、ドラマ終了をかみ締めて、次の福田麻由子を心待ちにしよう。
         “セレンディップの奇跡”見逃した・・・ orz