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金曜日, 12月 01, 2006

CM:ソフトバンク(その4)ブラッド・ピット編

キャメロンディアス第3弾 モンローウォーク編(勝手に名づけました)オンエア開始以来、本弱小サイトの検索キーワードが「ソフトバンク キャメロンディアス」に占領されてしまいました。なんか一番反応いいみたい。結局、第一弾のインパクトを超えるのはディアスのお尻でしたか。

まあ、確かに実際これが一番ディアスらしいっちゃあ、らしいですね。
で、先のエントリでちょっともったいない、としてまったのもなんなんで、モンローウォーク編の再評価をしようかなと思ってたら、いいタイミングでTVでCMが


あれ?
曲がWalk This Wayに戻ってる・・・って、ブラッド・ピット!?
検索してみたら10月時点の発表で既にピットのキャスティング発表されてたんですね。そう言えば記事を読んだ記憶があった。けど、ピットねえ、ふーん、程度の印象だったです。

それを切り札のディアスお尻で注目があがっているところにピットをかぶせてくるとは、やってくれるじゃないの。
ピットは既に日本のCMでは結構なじんでいるので、最初からピットだとインパクトは大きくなかったと思います。けど、このタイミングでの展開は男性・女性両方の購買層にアピールするでしょう。いいとこ突いてます、ほんと。


ピット第1弾(インド編?:勝手に名づけました)は、携帯で話ながら街を歩くという基本フォーマットで、最後にアクオス・ワンセグと製品ラインナップを区別してきました。
第2弾以降もこの路線でいんでしょう。ディアスのアメリカに対してピットはアジアシリーズでしょうか。最後に日本にきてくれれば、私が勝手に妄想した演出も、それなりだったことになるかな。基本フォーマット踏襲という期待は当たったし(男優だったけど)

3人目は誰かなあ。日本の女優さんかなあ。

#福田麻由子シリアスバージョン希望・・・・・・いや、それ、若年層を抑えてこそのシェア拡大ですし、それ以外の特定の層の掘り起こしもばっちりですしって、それは特定というゆうよりも特殊だろ、て単なる趣味ですか、そうですか。
 もうちょっと、乗り換え待とうっと。

関連エントリ:その1その2その3

日曜日, 11月 26, 2006

CF:ソフトバンク その3

ちなにみ関連エントリは、その1その2

先のエントリで「せっかくキャメロン・ディアス起用したんだから、続編はもっとはじけさせほうが」という声が届いたのか(んなわきゃない)、第3弾が放映されはじめました。

今度は商店前のストリートを歩くという前2作のフォーマットを踏襲しつつ、
・西海岸っぽい明るい感じ
・通りの男どもの視線を集めて闊歩
・最後に踵をかえしてお尻の携帯をみせ、「XS Coming Soon」

というように、「注目」「新製品」という方向への演出意図が感じられます。

んー・・・・ 結局のところ、このディアス3連作は企業広告ではなくて「新製品の前フリ」でしかなかったんですかね。つかみがバッチリだっただけに、なんかもったいない。

今後は、いっそのこと「大物女優が闊歩する」という基本フォーマットをベースにして、新たな演出を工夫できるか、というのを期待してみたりして。

その4へ:期待は半分当たってた!)

土曜日, 11月 18, 2006

CM:ソフトバンク キャメロン・ディアス(私ならこう演出する)

先日の怒りが届いたのかソフトバンクのキャメロンディアスのCMが元に戻ってました。#公取の指導だってば
まあとにかく、あの醜悪な「¥0」がなくなっていて、めでたいめでたい。

なんだか、ここ2・3日で“ソフトバンク キャメロンディアス CM”で検索があったんですが、このためだったんですかね。たぶん15日ぐらいから元に戻ってたんでしょう。

あらためてこのCM(ストリートを歩くほうは“街角編”というらしい)について世間の評判を確認してみたら、意外にも
「ディアスのインパクトはあるが、何を言いたいCMだかわからん」
というのがちらほらと。
企業CMなんだから、まずはインパクトで充分なんじゃないかなあ。否定的な評価の人でもディアスを見た時に「おっ!?」と思ってたんだから、これはSoftBankの狙い通りでしょう。

ただ、次の“スーパーマーケット編”は、私も失敗だと思います。だってシチュエーションを代えただけで“街角編”と何にも変わっていないんですもん。これもディアスの存在感にのっかるだけじゃあまりに芸がなさすぎです。

“街角編”でツカミはOKだったからこそ、それに重ねてスーパー編で企業CMとしてもメッセージを出して、「なるほど、ここで企業としての方向性が示されるのか」となればよかったのに。
おそらく、製作側の意図としては、ビジネスシーン・カジュアルシーン・○○○シーンでかかせないSoftBank携帯、みたいなものだったのでしょう。しかし2作目では、もうディアス起用のインパクトがないですから、今のような内容では、1作目との対としての作品という印象しか残りません。もったいない。

ここはディアスにもっとハジけた演技をあてて「今度はディアスにここまでやらせたか!」というぐらいまで、このスーパーマーケット編自体のインパクトを強烈にしなくてはならなかったと思います。当然SoftBankの企業CMとしてのメッセージを含んでです。
ディアスは「クリスティーナの好きなコト(The Sweetest Thing)」で「メリーに首ったけ」とは比べ物にならないほどハジけてましたからねえ、それこそ予想外の演技してくれたんではないかと思うんですが。

私ならこうする
・ディアスにコギャル風(ゴスロリでもコスプレでも可)の装いをさせ、アキバや原宿あたりではしゃがせる。ある意味現代の日本の文化的アイコンである分野への進出・存在感を演出
・一転、下町の八百屋ですごく自然にとけこんでいるディアス

企業メッセージ  日本の文化に自然に溶け込む携帯インフラを実現する、という暗喩

 ⇒これはJ-PhoneがVodafoneになり日本市場にマッチしない製品展開や運営方針を繰り返したことを反省・やり直す意図として、ディアス(外国人)を日本文化に溶け込ませる、という構成にする。
街角編:ディアス起用のインパクトで充分。ここはまだ颯爽としたビジネスパーソンというイメージでOK
アキバ編:ディアスはじけてるよ!! 前作はニューヨーカーっぽかったのに今度はオタ外人
下町編:あれ今度は落ち着いたなあ。

てな感じ。 
#メイド服は似合いそうにないから、アクション系のコスプレがいいかな。あ、それだとチャーリーズエンジェルになってしまうか。

続き:その3その4

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月曜日, 10月 30, 2006

CM:ソフトバンク キャメロン・ディアス編

ソフトバンク携帯の企業広告(キャメロン・ディアス編:携帯で話ながら歩く姿を正面から撮ったもの)、このCMを初めて見た瞬間、正直

「おっ!キャメロン・ディアスだあ。なんのCMだ?」

と、画面に引き込また。
ハリウッド大物俳優(女優)を使ったCMはそれほど珍しくない昨今だが、久々に女優の存在感をストレートに前面に出したもので、なかなかいい、やっぱオーラが違うのかな、「予想GUY」なんかより、シンプルにインパクトあるよね、そう思ってた。

・・・・・・・・
・・・・・
・・・

それがなんだ「¥0」って、キャメロンの脇にチラチラしてるあれは。
台無しだ。
まるで新聞折込チラシだ。
携帯¥0(新規契約のみ)ってのと変わらない。


CFの絵を撮った監督とカメラとその他大勢のスタッフは泣いているぞ(たぶん)

旧バージョンが好印象だっただけに、その醜悪さは倍掛け以上だ。


・・・マジに乗り換えたくなってきた。
・・・・CMがここまでの(逆の)モチベーションを起こすこともある、っつーことだな。

(2006.11.17 追記 今日見た“エアロスミス”バージョンは元に戻って「¥0」チラチラがなくなっていた。公取の指導の影響かな。よかったよかった)
   続き:その2その3その4

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火曜日, 8月 15, 2006

誰が為

2004年春、あるCMの放映が開始された。

「No Border No.1(国境編)」



中東を思わせる荒野 そこに国境を思わせる地平線まで連なる白い線

その両側で対峙している 険しい表情で睨み合う大人達の列

何故の諍いなのだろう 歩み寄る糸口も見えそうにない


そこに笑顔の少女 大人達の足元から白い線へと歩み寄り、

線のカケラを拾い上げる それは食べ物だった

表情が和らぐ大人達 

交互に線のカケラを拾いあう

カケラを食べて心安らぎ皆に笑顔が戻る

そして

そこにはもう白線はない

NO BORDER



誰もが覚えているであろう、日清カップヌードルのCMである。

Mr.Childrenの「タガタメ」をバックに綴られたこの作品は、911以降の国際情勢に向けられた強烈なメッセージであった。このCMのインパクトは今でも色褪せていない。
それどころか暗い局面に進みつつある今のこの世界にこそ、改めて発せられるべきメッセージを持っていると思う。


「戦いがいけない、やめなくてはいけない」それは望むらくはその通りであろう。
しかしすでに戦いを始めたものたちにとっては もう、
戦いの是非は考慮の対象とはなりえない

そうなる前に考えねばならない 

本当に戦わねばならぬのか 
そもそも 戦う理由など 本当に 存在するのか

なにか あたりまえの 
こどもにでもわかる かんたんなことを
わすれているのではないのだろうか

それは

もしかしたら

少女が笑顔で拾い上げられるような

どこにでも

だれでもしっている

そんなものではないのか





戦争を知らない世代という言葉がある
そんなのは嘘だ

いまだかつて戦争が無かった時代なんて存在しない

まさに今われわれは

明らかに戦争の中に生きている

傍観者なんかでは決してない

   8月15日 忘れてはいけないことを心に刻み込む