日曜日, 10月 15, 2006

不描之描弐(宮崎駿の場合)

不描之描の続き
 
宮崎駿が作画についてこんなことを言ってました。(出展失念)
「原画、つまりカットの最初と最後を決めのポーズや構図にしてはいけない。本当の動きは常に不安定なもの。ここがイラストとアニメの大きな違い。」

 確かにカットの始まりや終わりが構図として安定していると、そこで動きが止まってしまうんですね。宮崎アニメでは、この中途の動きの表現と、途中でのカット切り替えが絶妙で、動作が自然につながっています。加えて視点のつなぎと切り替えが丁寧で、どんな複雑なアクションシーンでも見る側が迷うことはなく、アクションそのものの妙をストレートに感じることができるように作りこまれています。表面に出てこない演出の技ですね。


岡田斗司夫がアニメ夜話(カリオストロの城だったかな)で言ってた宮崎演出の話。
 あるスタッフが、格闘シーンで短剣をスッと突き出す動作がうまく描けないでいた。それに対しての宮崎駿の指導。「短剣を突き出す習慣に、一瞬の刀の光の反射だけコマを挿入すればいい。」・・・・・すごいの一言。ほんとに「どう動かすか」を超越した表現力です。
 この逸話を紹介した岡田が付け加えるに「こんな化け物が親分だなんてやってられないよね。いつになっても凌駕できる気がしない。」 
 まったくです。


上で言及されている短剣のシーンは、ナウシカか、もののけ姫の格闘シーンだと思います。
ナウシカの他の場面でも、反射光の一瞬のきらめきを効果的に使っているところがあります。
室内の会話シーンで、テト(キツネリスだったかな?)がナウシカの肩の上をちょこちょこと動き回っているところです。ここでテトがナウシカのイヤリングを揺らし、その一瞬のイヤリングから反射光がきらめきます。
この描写の挿入は絶妙で、イヤリングが揺れた感じが自然かつリアルに感じられ、テトの動きやナウシカが仕草に俄然リアリティが生じているのです。
個人的には“うなじ”への視線誘導が「やられた」と感じました。

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