日曜日, 7月 23, 2006

ハルヒ:2話 ローアングルと奥行表現(小津構図)

揺れ画面の前にこのカットについて触れておかねば。


画像出展:DVD 涼宮ハルヒの憂鬱1より

谷口がキョンへハルヒの奇行の数々をかたるシーンです。

・アイレベル(カメラの高さ)が机の高さというローアングル
・他生徒や机上の牛乳パック越しでの3人の構図

これ小津安二郎(Wikipedia)の構図ですよねえ。
以下は東京物語の1シーン
・テーブルの高さのアイレベル
・ふすまや扇風機といった室内のもの越しの構図
といった特徴に類似性がみられると思います。


デジタル小津安二郎: 建築家としての小津安二郎  より
(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999ozu/japanese/07.html)

あえてこのような構図を用いた理由として、
・小津監督へのオマージュ
および
・昼休みの教室内での会話という構図の強調
でしょう。

前者については、大反省会 三年目のルサンチマン(その1)で以下のような記述が根拠です。


山:蓮實重彦に怒られる事はない(笑)。

山本 寛:俺はこの「イマジナリーライン」ってのは、そりゃ映画100年を支えて来た黄金律には違いないんだろうけど、もう観る側の中にリアリティとしてない、と思ってるの。

(注釈)しかし小津安二郎は知っていながら敢えてこれ(イマジナリーラインの文法)を無視し、結果その独自の映像美学が各国の驚異の的となった、という有名な逸話もある。


このように、山本氏およびスタジオ枯山水のスタッフには、映像文法と小津安二郎(あと蓮實重彦(評論家))についてそれなりに知見・影響があるようです。
#ちなみに「時をかける少女」の細田守も、 自作を語る『ひみつのアッコちゃん』 の中で蓮見重彦に言及しています。映像作家の基礎教養なんですね。(もっともこの記事は全体におちゃらけた体裁ですが)
そこでわたしは、手元にあったエイゼンシュテインの「映画演出法講義」(未来社)や、YU・M・ロトマンの「映画の記号論」(平凡社)や、松浦寿輝「映画nー1」(筑摩書房)や、蓮見重彦の「監督小津安二郎」(ちくま文庫)を手に取ろうとしたがアッコとは関係ないのでやめて、ひたすらシナリオと格闘した。


さて、後者の 昼休みの教室内での会話という構図の強調 については演出意図の推測にとどまりますが、このカットでは手前の女の子の楽しげな談笑の様子や、この構図のさらに手前を女の子が横切らせたりして、ことさらキョンたち以外の要素を描くことにより、クラス全体の雰囲気を印象付けようとしているのではないかと思います。 この後、谷口によるハルヒの奇行の解説とともに、屋上やプールサイドといった教室の外でひとり何かやらかしているハルヒを描写することによって、教室内の雰囲気との対比が強調されることになります。
ハルヒが既に孤立しつつあることについては、この直前のシーンでも細かい描写があり・・・・・

あーっ、全然次に進めない!!
続くぅっ!!! (Life Card 風)