日曜日, 12月 10, 2006

Yes, Virginia,

『サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話』だそうだ。
うん、確かにドラマやコミックのようには、こんな話題で盛り上がったりはしないだろう。
自分の記憶を辿ってみてもそんな会話をしたシチュエーションは浮かんでこない。実際、物心ついた時には親からそのままクリスマスプレゼントをもらっていた。
だから仮にそんな会話があったとしても「最初から信じて無かったよ」なんて場の空気を壊すだけだから、たぶん適当にごまかすぐらいしかなかったろう。

実は、今でも「いつまで信じてた?」という問いには満足に答えられない。
今は信じているからだ。サンタクロースを。

といっても別に宗教にはまったわけでも、超自然的な体験をしたわけでもない。しいて言えば、信じることを信じられるようになった、ということだろう。

きっかけは本当に単純なことだ。
年末で何かと慌しかった頃のこと、連日帰宅は夜更けになっていた。日に日に寒さを増していく家路では、疲れと気苦労を溜めた背中を丸めて歩くうち、心まで冷えていくような気がする日々だった。

そんなある夜。なんだか我が家の門灯が遠目にも少し明るくなっていた。近づいてみると、なんのことはない、それは門の植え込みに飾られた20球ほどクリスマスライトであった。
妻が「クリスマスにはライト飾りたいね」と言っていたのを思い出した。

ほんとうにささいな飾りだったのだが、しばし寒さも忘れて家の前で灯りに魅入られていた。
なんだか灯りが暖かかったのだ。それだけで心も温まるようだった。

それだけだ。たったこれだけで充分だった。

ああそうか これがクリスマスなんだ 
この暖かさは妻からの優しさだけじゃない クリスマスライトがくれた暖かさだ
クリスマスだから こんなにも心が伝わるものなんだ 

サンタクロースを信じたことがなかった自分にさえも、クリスマスの思いは刻まれていたのだ。両親。祖父母。友人たち。遠くから近くから私を支えてくれた人たち、そしてきっとまだ見知らぬ人たちの思いさえも

そして これがプレゼントなんだ 

だから信じられる。
クリスマスに、そしてクリスマスだからこそもらえたプレゼントだ。
それはサンタクロースからに決まっているじゃないか。

それ以来、12月にクリスマスイルミネーションを飾るのは我が家の定例になった。
これは妻とともにサンタクロースを信じていることの証だ。
いや、今では妻と子供達とともにだ。

もっとも子供達が信じているのは、Xmasの夜にいつの間にかクリスマスプレゼントを置いていくサンタロースのほうだろう。
たとえ疑問をもったとしても、今はまだ「うちに煙突ないのにサンタさんどうやって入れるの?」というぐらいだ。もしかしたらそろそろ「サンタクロースって本当にいるの?」と質問してくるだろうか。
それでも自信を持って答えてあげられる。

 「サンタクロースはいるんだよ」

と。信じているんだから。

いつかは「サンタクロースはいないんでしょ」と言ってくる日も来るのだろうか。
ならばこう答えよう。

「サンタクロースを信じられない年になったんだね。
 けれども、またサンタクロースを信じられる日は来るよ。
 私は信じられるようになったんだ。ほんとだよ。
 お前にもその日が早く来るといいね。」

こう答えることになるのは、きっとさみしいだろう。
けれども、実は、ちょっと楽しみでもある。

君達にも
思いが届き、また届けられること
それを信じられる日が来ることを

Yes, Virginia, there is a Santa Claus.