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木曜日, 10月 04, 2007

Don’t Panic

あれれぇ なんでかアクセス数の履歴がリセットされてる・・・・・・・・んじゃない!!

10/3のアクセス数が桁違いでこれまでの履歴がほとんどゴミのようなんだわ。
#1日ちょっとのアクセス数で、これまでの月間ページビューの記録を軽々とオーバー

今日の早川さんの胸元」の記事に本家COCOさんとこから直リンクがあったため。
母数の違いにただ圧倒

トラックバックもしてなかったのに見つけてくれてたんですね。COCO さんから直接コメントもらえるとはありがたいこってす。

うれしい以前あたふたしてしまいまいしたよ。書きっぱなしで、誤字・文体その他諸々ほったらかしだしぃ。

ううう、こんなことになるんだったら、もうちょっと、ちゃんとネタの裏とっとくんだった。
coco's bloblog

あと、帆掛けさんが食べてるキングバーガーのロゴが19であるとか、コカ・コーラがノッズ・ア・ラになってるところに気づいて欲しかったけど、別に大した意味はないからいいや。

あ”ーっ。見落としてた。つい胸元にばかり目がいってしまって・・・・・・・・不覚。

あわてて調べました。(という時点で、まだまだ未熟)

p.52 ノッズ・ア・ラ   帆掛さんが飲んでるキングバーガーのコーラのブランドNod's A-la   元ネタはNozz a-la スティーブン・キングのダークタワー他で登場するコーラのブランド。キングダム・ホスピタルでも出てくる(らしい)

なんとWEBサイトまである。Nozz-a-la キングのファンがつくったサイトのようである。
ロストペディアというTVシリーズ「LOST」のWEB辞書に解説あり


キングバーガーのロゴが19、というのはわからんかった。キング関係だとは思うのだけど。

#精進がたりん。ホラー系は観たいのだけど怖がりなもんで・・・・・・・

木曜日, 7月 05, 2007

最近の自動改札は賢いのだな

最近の自動改札って取り忘れた切符を回収する機能が備わっているって知ってました?

実は知識としては知ってたのだけど、自分がその恩恵に預かって初めて有り難味を知ったというお話。


都内に出張に行く時は、大抵、都内は乗り降り自由というフリー切符を使います。このフリー切符は往復券で、行きの切符は改札から出るときに通常通り回収されます。帰りの切符が乗り降り自由に使えて改札から出る時も回収されず繰り返し使用できる、というタイプなのです。
出張時に行き先が複数あったり、寄り道する時など重宝します。

で、先日の出張先はいつもは最初に直行するところだったのですが、たまたま時間が中途半端だったので、別のところに寄り道して、ご飯を食べてから目的地に向ったのです。

・・・もう、おわかりですね。帰りの切符を使っているにもかかわらず、普段最初に降りる駅を降りたもんですから、無意識に切符を取らずに改札をでてしまったのです。

習慣というのは恐ろしいもので、帰りにその駅で電車に乗ろうとするまで切符を取り忘れたことにまったく気がついてませんでした。
財布の中に切符がないことに気がついた時に、「あっ・・・・・」となりましたが、いかんせん取り忘れは数時間前の話。痛いなあと思いつつしょうがないので緑の窓口に切符を買いに行きました。
で、駄目元で窓口のお姉さんに
「すみません。昼にこの駅の改札でフリー切符を取り忘れたんですけど、とどいてませんか・・」
と訊いてみたら、

「どこの改札ですか」
と確認して即、電話してくれて、
「届いてますので改札までいってください」
との回答。

ラッキー!!!!!! 誰か届けてくれたんだぁ、と喜んで改札に向いました。そこではもうお姉さんが切符を準備してくれていて
「取り忘れたのはどこの改札ですか? いつ、どこの駅で買った切符ですか?」と確認され
て、保管してくれていた切符をわたしてくれました。

この時に「この改札機に残ってました」教えてくれたことで、切符を誰かが見つけて届けてくれたわけではなく、改札機自体が取り忘れ切符を保管してたことを知ったわけです。

通常の回収される切符はそのまま改札機に残りますが、フリー切符などの回収されない切符が取り忘れられると一定時間後(もしくは次の切符が挿入された後)に、その切符を逆に飲み込んで回収切符とは別領域に保管する、という仕組みのようです。

そう言えば何年か前に鉄道関係の友人に似たような話を聴いたような気がするから、この機能は随分と前に実現されてたもんなんでしょうね。

そうゆうわけで、切符を取り忘れた場合でもかなりの確率で改札機が保持してくれてますので、まずは駅員さんに確認してみましょうね。豆知識でした。

#何千円か儲かった、といい気になって散在してしまったのは、また別のお話

木曜日, 1月 18, 2007

かけ算1.11

かけ算1.1を人に説明する時には、

原理を数式で展開するよりも

「2桁の掛け算は4つの九九に分解できる。
 このうち上下の桁の対角の掛け算の結果が簡単になるので
 計算量が少なくなる、というのがみそ」

と説明するのが一番わかりやすいことに気がついた。
つまり↓こうなる。


これが視覚的に理解できれば、足して10にならない場合でも下の桁に足したり引いた入りすることで比較的に簡単に計算できる、ということも明確。



かけ算1.1での解説よりも、より直感的・・・・・ですよね。

木曜日, 9月 28, 2006

かけ算1.1

はてブ界隈でかけ算ハック(かけ算2.0)が流行っているようなので乗っかってみる。

・特定のパターンで簡単に計算できるというTips

2桁どうしのかけ算で、
・4つ数字のうちそれぞれ2つが、同じ数字、と、足して10 という場合は、
10の位の掛け算+同じ数字⇒上2桁
1の位の掛け算       ⇒ 下2桁
となり、繰り上がりの処理が不要となる。

例えば
・47×43=2021     ( 4×4+4 =20 | 7×3 =21 )

1の位が同じ数字でも同様
・34×74=2516 (3×7 + 4 = 21 | 4×4=16)

こんなんでもOK
・37×44=1628   (3×4+4=16   | 7×4=28)


原理は簡単で
(a×10+b)(c×10+d)=ac×100 +(ad+bc)×10 +bd
例えばa=b,c+d=10ならば第2項はa(c+d)×10=a×100
となり第1項の上2桁の計算に足せばいいことになる。
他の場合も同様。

この手法は、
15かける15=22
75×75=5625 
といった1の位が5である数の2乗計算という結構有名なTipsがもとである。
それをちょびっと拡張したものだが意外に知られていない。もっともこれが使えるのは(0を含まない)2桁掛け算のうち数%ぐらいだから役にたつケースもそれほど多くはないのだが。

実は、37×34など微妙にパターンからずれている場合でもまあ対応できる。

37×34=37×(33+1)=1221+37= 1258 
という感じ。感覚的には
・3×4=12 を確定してまず12と書く
・7×3=21を求めてそれに37足して58
・繰り上がりがないので、そのまま12につづけて58を書いて終わり
(もう少し簡単な手順を かけ算1.11 に補足)
実際にやってみると意外に簡単。ここまでできれば結構カバレージがあるので(15%ぐらいかな?)検算用のテクニックとしても有効なので覚えておいて損はないと思う。
#さらに1の位の合計が12になる場合や、10の位がひとつずれている場合もちょっと工夫すれば対応できるけど最初から素直に計算するのとどっちが得かは人それぞれであろう。


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日曜日, 9月 24, 2006

めちゃイケにもハルヒねたが?!

めちゃイケ秋特番、恒例の抜き打ちテストの予告をやってたんですよ。この企画、参加者をどうやって騙して会場に連れてくるかの仕込みも見所のひとつです。
で、今回の予告映像を見ると、なんと!、みんなレモンを持ってポーズしてたとこで騙されたことに気がつく、という仕込み。

おお、これは「涼宮ハルヒの憂鬱」DVDの
限定版いとうのいぢ版イラストのレモン持ちポージングのネタか?????????






んなわきゃーない


参考:涼宮ハルヒの憂鬱 DVD限定版ジャケットとザテレビジョンのレモン

ザテレビジョン(ザ・←ではないらしい)の表紙写真でスニーカー文庫とで角川つながりだったのね。そういえば、この「ザテレビジョンの表紙写真では必ずレモンを持っている」はトリビアの泉でもネタになってたな。

今回のめちゃイケのネタは参加者を秋の新番組(または特番)でのザテレビジョンの表紙撮影という騙しなんでしょう。もしかしたらウソ番組をでっちあげてるかもしれん。
今回は10周年ということで往年のツワモノを揃えてのようでちょっと楽しみ。

#めちゃイケの“おかレモン”のキャラがこれがらみだったとは知らんかった。


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火曜日, 9月 19, 2006

映画:リンダリンダリンダ

(犬井ヒロシ風にお読みください)

リンダ×3のブルース
リンダ×3のブルース 聴いてくれ

こないだ、「リンダリンダリンダ」っていう女子高生が文化祭でバンドをやるっていう
いわゆる青春映画を観た後の話なんやけどぉ~

ストーリーや出演者や演出にめちゃめちゃ共感して
   神映画である
と全人格をかけて絶賛するのか~

それともぉ~

シネフィルきどった古臭い映画センスの作品が世にはばかるのは我慢ならんと、自らの映画センスに賭けて
カットを割らないでダラダラ撮り、奇妙な「間」を生み出すことが、あたかも「作家的」と思われる傾向が、この国にはあるが、これは、ただカット割りの技術すらない素人同然の演出で、金取って見せてはいけない代物だ。
と全否定するのはぁ


自由だあーーー!!!!

リンダ is freedom ♪ リンダ is freedom.♪
(繰り返し)

けどぉ、掲示板で相手のレビューの否定をすると大炎上になるから、アップするのは自分とこのブログだけにしといたほうが、ええでぇ。

チャラチャ チャッチャーン






はい、微妙な売れ筋のお笑いネタで、数少ないリピート読者までも置いてけぼりにしたところで、映画「リンダリンダリンダ」(以下、リンダ×3)のレビューです。
 関連エントリ: ハルヒ:検証 ライブアライブとリンダリンダリンダ
         ハルヒ:ライブアライブとリンダリンダリンダ


総評:製作・監督・脚本・役者・配給の意図と個性が奇跡的に融合して生まれた青春映画。

この作品、好き嫌いがわかれる映画だろうなあと思ったら、やっぱり賛否真っ二つ。意外だったのは賛成のほうがかなり多かったこと。例えば映画生活の採点分布。普通は好評な作品で80点あたりをピークに山がた分布でしょう。ところが「リンダ×3」では100点と0点を極大にした谷がた分布です。しかも圧倒的に100点側に触れている。好きな人は好き、嫌いな人は嫌いというカルト系作品に良く見られる傾向ではありますが、そうゆうのってマニア受けですから、全体で「好き」の側が優勢って珍しいですね。

では何故に好き嫌いが分かれるのかというと、作品に散りばめられた要素が観客の感情にポジティブフィードバックをかけてくる作りになっているからなんだと思います。だから共感できる要素を見つけられる人には、どんどん作品が「自分にとってリアル」になってくるという好循環、逆にだめな人には、要素の全て、特に演出面が駄目駄目になってしまうという悪循環を生み出すのでしょう。

つまりこの作品は骸骨みたいなもので、観客が共感によって自分向けの肉付けをすることによって各々の傑作に昇華されているものなのでしょう。幅広く、如何様にも肉付け可能な骸骨を実現したのは徹底した脚本の削り込みと監督の演出の賜物でしょう。そしてその骸骨に観客の感情を共感させることを可能としたのは4人の女の子達の存在感と空気感に拠るところが大きいと思います。

もう本当に絶妙なタイミングで集結された企画と才能によって成立したとしか思えない稀有の作品でしょう。

まとまりがつかないので、後は雑記でお茶を濁します。


私の好きなシーン:夕方、スタジオから学校への帰り道、4人が川沿いの堤防を楽器を担いで連なって歩くところです。風景を広く捉えた俯瞰から4人の歩みをフォローで追いかける。黙々と、しっかりと、等間隔で歩いていく姿。
絵として綺麗とかリアルかどうかとかでもなく、具体的なシチュエーションが思い出せるわけでも言葉にできるわけでもないんですが、確かに高校生の時のどこかの風景のひとつなんですよ。


演出関係トリビア(内容に触れますので未見の方はご注意を)
 後半部の夢のとこ(サプライズで“大きい手のプレゼント”をもらったり、武道館(どこのだ(^^; )に立ったりするシーン)、好評価の人にも「蛇足だ」とか「わけわかんない」とか言われてるんですが、実はここのシーケンスは結構ひねくれた演出がなされており、解釈の余地があるんですよ。

シーケンスのおさらい。
(1)スタジオでの最後の練習中、恵ウトウト
(2)目を覚ますためにトイレに顔を洗いに行く
(3)ソンも来て会話をかわす。「バンドに誘ってくれてありがとう」
(4)トイレから戻ると元彼がギターでお出迎え
(5)お母さんがケーキまで持ってきてサプライズパーティーだ
(6)元彼からのプレゼント“大きな手”

(7)シーン学校 「先輩達どこいったんだろう」

(8)恵ステージ(武道館!?)に立つ。ピエールさんたちも来てくれた
(9)携帯の着信音でようやく目をさます。


これ、少なくとも(8)のところで夢であること気づくのですが、ひねくれたことに(7)の現実のシーンをはさんでいるために、どこからが夢の始まりか溯り難くなっているんですよね。正直言って、私も(8)でようやく、なんだあ夢かあ、気がついた口です。
じゃあ夢が始まったのはどこからかなと考えると(2)のトイレのシーンから、と考えるのが一番素直なんですよね。トイレの照明がホワイトバランス設定間違えたみたいに緑色なのは違和感をかもし出す意図的なものでしょう。ということは、ソンの感謝の言葉のやりとり、も夢の中のことなんですよね。そもそも晩御飯の時には韓国語通じてなかったし。
これ以降にも“夢”の違和感は織り込まれています。
・(4)元彼。お、いつのまに。ちょっとケレンミがきつすぎないか
・(5)サプライズ。あれ?このスタジオ学校から遠かったよな。なんでお母さん?家は近いの?それになんのサプライズ。誕生日か?違うの?何?
・(6)“大きな手”のプレゼント。 おいおいシャレじゃないの。一瞬ひくだろう。そんなに感動するとこか。そもそもそれつけてギター弾けるのか。なんで誰もつっこまないの。

気がつけばこのように夢の伏線はちりばめられているのですが、監督はあえて(7)の学校のシーンを挿入して夢のシーケンスを分断しています。これにより時間経過による緊迫感を表面的に持たせつつ、実は意図的に夢の開始点をぼかしています。これは観客に解釈の幅を持たせるためでしょう。実際、レビューの中には、ソンと恵が感謝しあうシーンがよかったと言っている人もいます。それもありなんでしょう。可能な限り観客の解釈を許容して、観客の共感の度合いを強化できる構造になっている。これがこの作品の強みなんだと思います。

レビュー大炎上
最初のネタ中の批判は、なかなかの激論に発展しました。はたから見てると面白いです。結構参考にもなるし。ただ、どっちもどっちで、スネークマンショーの音楽批評バトルのねたを思いだしてしまいました。