月曜日, 2月 26, 2007

ハルヒ:「ミクルの冒険Episode00」の必然性

演歌の女王のフォローがいっぱいいっぱいでハルヒ関係は月間になってしまってハルヒネタ期待の方には申し訳ありません。けどアクセス解析をみると、ここのところハルヒねたでこられる方で少なからず隅から隅まで読んでいってくださる方が増えているようで、ちょとうれしいです。
2月もなんとかハルヒのエントリということで「ミクルの冒険」(以下「冒険」)についてちょっと語らせていただきます。

放映開始での「冒険」のインパクトはいうまでもありませんが、ちょっと気になってたのがDVD版でも最初にリリースされたことです。しかも番外編という形で。
まあ常識的に考えれば
・インパクトのあるうちにDVDをリリースをして勢いをつけておきたい
・時系列にこだわると第6巻で「冒険」「ライブアライブ」のカップリングとなり、最大の山場である「ライブアライブ」とのギャップが大き過ぎる。
といったことが考えられるので、やっぱり番外編・パイロット編としての位置づけが自然なのだろうなあ、と納得してました。

で、ハルヒのカメラワークをあらためて確認していて、ハルヒ最大のポイント「一人称視点」の演出を深く知る過程で、「冒険」DVDにおいても最初に来るのは必然であるということがわかりました。
一人称視点演出、ハルヒはこれに始まりこれに終わると言い切ってもいいでしょう。これをアニメでどのように表現するかは相当悩んだということはスタッフのインタビューでも語られています。で、実際の演出はどうかは、物語の開始である「憂鬱Ⅰ」(放映2話)でいかんなく疲労されています。本サイトでも、一人称視点が多様なカメラワークでどのように描写されてきているのはいくつか解説してきました。以降の話でも、最終話「サムデイ・イン・ザ・レイン」を除いて、一人称視点の演出は工夫・徹底されています。非常に丁寧な演出によって、視聴者はこの一人称視点の縛りをほとんどかんじなかったのではないでしょうか。

インタビューによると、制作の初期段階で、スタッフは全部カットをキョンの「見た目」視点にすることも考えたが、それだと「ジャンピング」(手塚治虫の実験アニメ)になってしまうのでさすがにやめた、と語られています。

しかし、私が思うにこの全部「見た目」という演出は、実は「冒険」でなされているのではないかと思うのです。SOS団制作のグタグタな自主制作映画をそのまま本編とするという視聴者の度肝を抜いた体裁でついつい忘れがちなんですが、よく考えてみると、この映画は完全なキョンの「見た目」なんですよね。カメラというワンクッションはありますが。
「冒険」は自主制作映画を完全に再現することにより、普段は視聴者に意識させない「カメラ」の存在を強烈にアピールしています。この話の主人公は他でもない「カメラ」なんですね。そしてファインダーを通してこの世界を見つめていたキョンがつっこみをいれています。このエピソードによって視聴者は、「見た目」の視点を完全に刷り込まれ、これ以降のエピソードでの視点のベースを自然にキョンにおくことができるようなっているはずです。
このアニメは「キョンが世界につっこみを入れていくのをキョン視点で追いかける」ということです。
ですからDVD版においても本編の導入部として「冒険」は最初でなくてはならなかったのでしょう。
ここでさらに驚くべきことは「冒険」(メイキングである「溜息」ではなく)が既に原作に最初からあった、ということです。これを採用した京アニも凄いのですが、スタッフ達は採用決定時点で改めて「ハルヒの手のひらの上にいる」ということに思いいたったのではないでしょうか。作品世界にこれを準備していた谷川流より、ここはやはりハルヒ恐るべし、というところでしょう。

日曜日, 2月 25, 2007

ドラマ:演歌の女王 第7幕 ラストまでの方向性は定まったとみた。

第7幕は前回のようなトリッキーなカメラワークは少なかったです。やはり前回が異質だったようです。

これは全くの憶測なんですけど、第6幕で大幅なシナリオ変更があったのではないでしょうか。長回し・アップの多様・隙間からのショットなどトリッキーな撮影は、土壇場での変更に対応するための苦肉の策だったのではないか、という気がします。この仮定から主な変更点がどこかと推理すると、萩本社長のエピソードがその可能性が高いです。
・全くの前フリなしでの離婚危機と事務所崩壊 
・萩本社長がらみでのトリッキーなカメラ演出
  長まわし:ひまわりのアパートでの離婚話、カラオケ教室でのやりとり
  電話越しでの会話の多様、限定アングルからのカット多様
  飛び降りを決心した屋上でのカットのアオリアングル
     ⇒空だけ写せばどこで撮ってもいいので辻褄あわせに使われることが多い。
・分かれ道のシーンにCG無し(第7幕で復活)つまり分かれ道の設定自体も変更あり?

以下、勝手な推測:
ヒロシの母を演歌で正気に戻すくだりの伏線回収があまりにも急だったのは、このヒロシの母のエピソード展開を軸に再構成した。
ヒロシの母については第7幕で真佐美との関係も含めて整理されているので、その後の地方営業への展開につなげるために萩本のエピソードを急遽準備したのであろう。
ならば第6幕で本来入るはずのエピソードは? これは、ひまわりの母と弟の話でしょう。この話はあまりにも急にまとめすぎです。だいたい傷害事件まで発展させておいて血を分け合ってめでたしめでたしって、いくらなんでも脚本が破綻してますがな。お陰で温水さんがまともにからんでこなかってでないの。最後の看板いたずらのとこだけ。あれだって、ひまわりの行動パターンからは逸脱してます。本当ならば第5幕・第6幕ぐらいにわたって親子関係の修復をじっくりとまとめ、最終回での父親との再会へつなげるつもりだったのではないかと。
方針変更はわりと明確で、

・1回ごとに話を回収する。単発で観てもそこそこ楽しめるように。
・エピソードの密度を上げてテンポを良くして視聴者をあきさせない。
・悪役のキャラをはっきりさせ、それを改心させるなどしてカタルシスを得られるように
・ある程度ヒロシへ駄目出しをして視聴者のフラストレーションを解消してあげる。
・特に天海キャラの強さをはっきりとする方向へ。

てなとこでしょうか。
酒井若菜のブログによると、第7幕の撮影終了は2/18だったようです。これ第6幕放映終了の翌日ですよ。編集作業その他を考えるとこの時期にしては結構押しているのでは。いわるゆ「撮って出し」ってやつ?
#まあ、TRICKでは次回予告が「まだ出来てなーい♪」ってこともあったけどね。

んー、本当のところはどうだったのかなあ。放映終了後に関係者から現場の情報があがらないなあ。

色々な意味で残り3回の展開を楽しみにしましょう。
#福田麻由子の扱いももうちょっと考えておくれ・・・・・・・・・
 天海とのセーラー服対決は、ちょっと笑ってしまったが、もうちょっと台詞回しをひねってほしかったな。

水曜日, 2月 21, 2007

ドラマ:演歌の女王 第6幕 色々な意味で面白かった。ほんとに

正直、面白かった。最初からこのような構成・演出にしていたら15%以上の数字は確保されていただろう。ビデオ(もしくはハードディスク)に撮りだめしたままのあなた。騙されたと思って、第6幕(2/17)を観て欲しい。放送当初と似たような構造なのに、ここまで印象が変わるのか、と驚くであろう。

時間がないのでざっと印象を。

個人的に特にびっくりしたのはカメラワークである。
序盤のひまわりのアパートのシーンから、広角レンズの長回し。しかもかなりのハイテンポ・ハイテンションである。次のカラオケ教室での天海・段田の長回しでのやりとり。さすがである。役者の力量がいいテンポを生み出して、ここでのテンポのよさが終盤まで続く。

中盤以降もかなり大胆な構図、カット割りが続く。正面バストショット想定線上でのカット割り。俯瞰・あおり、はては実相時カットまで。好き放題と言ってもいいほど。けど、これらの演出全般が妙に今回のテンポにははまっていた。
カメラワークが気になる自分にとって、とぉっても満足でした。はい。


ただ・・・・・・

これがスタッフ達が目指した形のコメディだったのか、という点では疑問が残る。あまりにも伏線みえみえかつ予定調和な物語の回収(痴呆症の田丸母を演歌で正気に戻させる、など)。1話内で視聴者を満足させるべくのプロットの変更があったのではないか、という疑念がぬぐえない。今回の演出パターンの大幅な変更は、「単純に視聴者を楽しませるだけならいつでもできるんだよ」みたいな開き直りなのだろうか。

今回の長回しの多用も、もしかしたらシナリオ変更の影響なのかもしれない(だとしても結果オーライだが)あとTV局内でシーン、照明ミスのハレーションなど普通ならNGであろうと思われる絵が多々あったし。

低視聴率による打ち切り観測記事がうるさいようで、内部でもスポンサー向けに色々と大変なのであろう。テコ入れも随分強化されている(ハケンの品格との抱き合わせのSP、MusicLovers平井堅・天海競演、ズムサタのバックアップなどなど)

残りの展開を察するに、どうやら私が当初想定したような、「コメディの皮をかぶった社会派メッセージドラマ」の可能性は少なそうだ。ただ、まだまだ色々とやってくれそうな気配は濃厚である。折り返しを過ぎて、あと4回。どのように転んでも見物である。
どうか打ち切りになりませんように。

Wikipediaに7幕が最終幕となっていたけど、さすがにこれは飛ばしだろう。
 ・・・・・って見直してみたら修正されてた。魚拓とっとくんだった。

他のブログでの第6幕レビュー
どらま・のーと 演歌の女王 第六幕『初の生熱唱が奇跡を起こした!!』
救え! 演歌の女王!!(Muhoの日記)

月曜日, 2月 12, 2007

ドラマ:演歌の女王(第五幕) なんだか普通になってきちゃったなあ

前回(第四幕)から、これまでの配役が絡み合い始めてきて物語が動き始めてきた、と思ったのですが、
第五幕を観て、もしかしたら一般にわかり易い展開になるようにシナリオに手が入れられてしまったのでないか、という気がしてきました。

その一番の理由は、今回のトラブル「母と(腹違いの)弟との家族の絆の崩壊」が、あっさりと(まあ、命がけですけど)回収されてしまっているからです。この設定、こんなに簡単にまとめちゃっていいんですかね。父親との再会まで繋がる話の流れでそれなりに重要な部分だと思うんですが。どうも一話ごとにきれいにまとめて視聴者に安心感やそれなりのカタルシスを与えるようにしてしまったような気がします。

あとラストで次回のトラブルが出てきてない。しいて言えば痴呆症の秘密を打ち明けてしまうところが引きといえばそうなのですが、これもいつものパターンと違う。次回予告で池内淳子の痴呆症の話ということがわかるんですが、ならばもっと強烈な引きにしてもいいと思うんですが、やはり話ごとに綺麗にまとめようとしてるんでしょうか。

全10回ですから折り返しなので、話を回収する方向に持っていっているのかもしれませんが、いかんせん、低視聴率だの打ち切りだのと外野がうるさいようで、観る側も「テコ入れかなあ」などと感じてしまうのもちょっとなんですね。
なんだかんだ言っても、このドラマのメッセージ性にはかなり共感かつ期待しているので、今後も軌道修正されていないことを願っています。

#もう、どうころんでも最後まで付き合うもんね。

#その他いろいろ
・今回も「女王の教室」から出てましたね。真鍋 由介(松川尚瑠輝)。璃子ちゃんを袖にするとはもったいない。
・ホストクラブでのBGM Word Up / Cameo なつかしい。おばさま向けなのね。
・今週の貞子。スクラップ芸人になってまんがな。あと、なぜウルトラQ (^_^;)
・エンドロールに「赤いプルトニウム」・・・・・また微妙なところを。

木曜日, 2月 08, 2007

ドラマ:演歌の女王(第4幕) なんか噛み合ってきたぞ

演歌の女王 第4幕。 

ん? なんかテンポよくなってきたような気がしました。
パターンが固まってきたので観ているこちら側が慣れてきたのか、それとも意地でも楽しんでやろうとして観てる気合の賜物か。

特に、毎回繰り替えされるこのドラマでのメインメッセージ「ひとりぼっちはさみしいんだよ」が、どうにも心に響かないなあ、とおもってたんですが、
今回ようやく、真佐美(酒井若菜)へのこのセリフで、メッセージがストンと腑に落ちました。

2幕・3幕での児童虐待といじめにおいては、いずれも加害者と被害者という構図で生じているものです。普通は加害者の非を責め被害者をいたわるという流れですよね。ところがこのどらまでは、ひまわりは加害者に対して啖呵を切ることはするが、あくまで妄想の中だけであり、お茶を濁すのが精一杯。そして被害者へは「ひとりぼっちはさびしいよ」という、励ましとも慰めともつかない、一向に解決にならない言葉をかける程度。こんなメッセージで何を訴えようといういうのだろう、かと訝っておりました。
で、第4幕。執拗ないやがらせをする真佐美(酒井若菜)は、自分さえ幸せであればいいと考える故の加害者ではあるのですが、そうなってしまった原因は社会の理不尽さにもあるため、ある意味被害者でもあります。ですから今回の「ひとりぼっちは…」のセリフは、「本当にそんな生き方でいいのか、本当にそれで幸せといえるのか」というストレートな問いかけになっています。
そう考えてみると、施設へ行くという信くんへの問いかけや、学校から逃げようとする貞子へのセリフは「今の境遇から逃げるために一人になってもいいのか?、誰かと共に生きて幸せをわかちあえなくてもいいのか」という問いかけになっていたといえます。

「女王の教室」では超絶的な意志を持つ阿久津先生が示す行動とメッセージによってクラスと教師・親達が変わっていく様が描かれていました。ドラマのご都合主義で終わらせず、視聴者にまでも問題意識をいだかせる見事な構成でした。

今回のスタッフはさらに野心的なことを構想したのでしょう。
カリスマに頼らず、誰にでも、日本一不幸な演歌歌手にだって、言える一言

「ひとりぼっちはさびしいよね。」

このワンフレーズで世の中を明るく変えていこうとしているのではないでしょうか。

『たとえ不幸でも、今の境遇から逃げないでこの世界を生きていこう。一緒ならなんとかなるよね。誰だって誰かを少しぐらいは支えていけるでしょう』そんなメッセージを感じます。
「がんばれ」じゃなくて「わたしは一緒にいるよ」という一歩踏み出した応援、というか
かなり控えめな「ペイ・イット・フォワード」みたいな。

天海をはじめとした従来と正反対のキャラ設定も、毎回のトラブルを単純な勧善懲悪で収拾せずにプロットを展開させていくのも、視聴者に対して単純な感情移入や予定調和をさせないための仕掛けなのではないか、などと考えてしまいました。

次回は、ホスト遊びに明け暮れる母親の話。やはり「ひとりぼっちはさみしいよ」となるのでしょうか。どのような展開なのか楽しみです。

ところで視聴率は・・・・・・・・・・・・・9.9%(前回8.5)
んー、微妙。特番編成が一段落してきたから潜在的な視聴者が生視聴に戻ってくるころなんでしょうか。今回は多少は視聴者をひっぱってくれていそうなので、次回2桁に戻して、打ち切り不安を回避してくれることを祈ります。

その他雑感
・温水さんと志田さんは、不祥事担当じゃなくてパターン踏襲を担ってるんですね。
・ひまわりがため息をつくと福田麻由子の出番。同居人が出来て部屋での出番が減るかと心配したんですが、どこでも出てこれるようです。よかったよかった。
・不死身のひまわり。この展開はもしかしたら・・・・・ままゆが・・・・・夢オチ
  てなことはないだろうなあ。
・妄想シーンとの切り替えは照明の色温度の違いが目安かな。
・演歌熱唱の導入カットでのカメラがぐるぐるする(360°ドリーとかスピンアラウンド というらしい)パターンがなくなった。歌唱シーン自体も短くなってる。このほうが流れはいいと思う。

月曜日, 2月 05, 2007

訃報:大杉君枝アナウンサー(旧姓 鈴木、日本テレビ)

大杉アナの訃報(asahi.com)

私個人としては「所さんの目がテン!」のアシスタント(初代)としての活躍があまりにも強烈だったため、報道・紀行もの・皇室系などでの自然な落ち着いたナレーションを聴く度に「ああ君枝ちゃんのフォーマルバージョンだぁ」と喜んでいたものです。こっちが本業なのにね。

「あるある疑惑」以来、情報バラエティ番組が軒並み疑われている今日この頃ですが「目がテン!」に関しては、うけを狙いながらも科学番組の姿勢としては極めて真面目なことが改めて評価されています。思うに、番組がここまで続いてきているのも、初代からの所さん・レポーター・アシスタントの絶妙なバランスの賜物であり、特に初代アシスタントの鈴木君枝アナの
当時としては女子アナの範疇から大きくはみ出したキャラによるところが大きいのではないかとさえ思います。
復帰後の新たな活躍も楽しみであっただけに、この訃報は残念でなりません。

謹んで大杉君枝氏のご冥福をお祈りいたします。