水曜日, 12月 13, 2006

ハルヒ:2話 見た目のカメラワーク(2) 望遠

ハルヒメインのサイトのはずなのに11月のハルヒ関係、ひとつしかなかった・・・

そうゆうわけで、ひっぱったままだった「見た目」その(2)です。

谷口がハルヒの中学時代の奇行を語るシーンの一連の流れで、キョンは谷口の会話を聞きつつハルヒを遠くから眺めています。
 校舎横の階段踊り場から屋上のハルヒに気がつくキョン


このカットがキョン視点“見た目”となっています。



同様に教室から


プール脇で何ごとか思案しているハルヒをみています。

これらのハルヒのカットには共通点がありまして、超望遠で撮ったような感じで画面が揺れているんですね。(うまくGIFアニメにできなかったので確認したいかたは動画を参照ください。5分過ぎあたりからです。)もちろんキョンが双眼鏡で彼女達を見ているわけではなく、遠くのハルヒ(に注意がいっている、という表現な訳です。
この望遠カットの前後にはキョンのナレーションや視線移動の描写があるので、特別な演出がなくともハルヒのカットがキョンの“見た目”であることはわかります。ここであえて望遠の揺れを加えることによって、「遠くのハルヒを」「キョンから一方的に」見ているというキョンの心情が自然に感じられると思います。
実際の視覚では、このような望遠の揺れは起こらないのですが、TVや映画などで「超望遠」の画像というものを自然に感じられるようになっているからこそ、このような演出が効果を発揮できると言えるでしょう。

実はこの後に続く体育の授業中のシーンでも揺れる望遠のカットがあります。谷口がベスト3とする朝倉さんを挙げた時もキョン見た目です。


このカット、ハルヒに比べて明らかにアップになってますよね。つまり、ハルヒについては「なにやってんだ」という行動に注目しており、朝倉さんについては主にルックスに注意がいっているということがわかります。
#ちなみに、この次のカットでキョンは朝倉さんを上から下まで嘗め回すような見ているんですね。うむ、気持ちは良くわかるぞ。

このようにカットひとつひとつの演出が実に丁寧なもんですから、見直すほどに発見があります。
「見た目のカメラワーク その(3)フォーカス」に続きます。

日曜日, 12月 10, 2006

Yes, Virginia,

『サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話』だそうだ。
うん、確かにドラマやコミックのようには、こんな話題で盛り上がったりはしないだろう。
自分の記憶を辿ってみてもそんな会話をしたシチュエーションは浮かんでこない。実際、物心ついた時には親からそのままクリスマスプレゼントをもらっていた。
だから仮にそんな会話があったとしても「最初から信じて無かったよ」なんて場の空気を壊すだけだから、たぶん適当にごまかすぐらいしかなかったろう。

実は、今でも「いつまで信じてた?」という問いには満足に答えられない。
今は信じているからだ。サンタクロースを。

といっても別に宗教にはまったわけでも、超自然的な体験をしたわけでもない。しいて言えば、信じることを信じられるようになった、ということだろう。

きっかけは本当に単純なことだ。
年末で何かと慌しかった頃のこと、連日帰宅は夜更けになっていた。日に日に寒さを増していく家路では、疲れと気苦労を溜めた背中を丸めて歩くうち、心まで冷えていくような気がする日々だった。

そんなある夜。なんだか我が家の門灯が遠目にも少し明るくなっていた。近づいてみると、なんのことはない、それは門の植え込みに飾られた20球ほどクリスマスライトであった。
妻が「クリスマスにはライト飾りたいね」と言っていたのを思い出した。

ほんとうにささいな飾りだったのだが、しばし寒さも忘れて家の前で灯りに魅入られていた。
なんだか灯りが暖かかったのだ。それだけで心も温まるようだった。

それだけだ。たったこれだけで充分だった。

ああそうか これがクリスマスなんだ 
この暖かさは妻からの優しさだけじゃない クリスマスライトがくれた暖かさだ
クリスマスだから こんなにも心が伝わるものなんだ 

サンタクロースを信じたことがなかった自分にさえも、クリスマスの思いは刻まれていたのだ。両親。祖父母。友人たち。遠くから近くから私を支えてくれた人たち、そしてきっとまだ見知らぬ人たちの思いさえも

そして これがプレゼントなんだ 

だから信じられる。
クリスマスに、そしてクリスマスだからこそもらえたプレゼントだ。
それはサンタクロースからに決まっているじゃないか。

それ以来、12月にクリスマスイルミネーションを飾るのは我が家の定例になった。
これは妻とともにサンタクロースを信じていることの証だ。
いや、今では妻と子供達とともにだ。

もっとも子供達が信じているのは、Xmasの夜にいつの間にかクリスマスプレゼントを置いていくサンタロースのほうだろう。
たとえ疑問をもったとしても、今はまだ「うちに煙突ないのにサンタさんどうやって入れるの?」というぐらいだ。もしかしたらそろそろ「サンタクロースって本当にいるの?」と質問してくるだろうか。
それでも自信を持って答えてあげられる。

 「サンタクロースはいるんだよ」

と。信じているんだから。

いつかは「サンタクロースはいないんでしょ」と言ってくる日も来るのだろうか。
ならばこう答えよう。

「サンタクロースを信じられない年になったんだね。
 けれども、またサンタクロースを信じられる日は来るよ。
 私は信じられるようになったんだ。ほんとだよ。
 お前にもその日が早く来るといいね。」

こう答えることになるのは、きっとさみしいだろう。
けれども、実は、ちょっと楽しみでもある。

君達にも
思いが届き、また届けられること
それを信じられる日が来ることを

Yes, Virginia, there is a Santa Claus.

金曜日, 12月 01, 2006

CM:ソフトバンク(その4)ブラッド・ピット編

キャメロンディアス第3弾 モンローウォーク編(勝手に名づけました)オンエア開始以来、本弱小サイトの検索キーワードが「ソフトバンク キャメロンディアス」に占領されてしまいました。なんか一番反応いいみたい。結局、第一弾のインパクトを超えるのはディアスのお尻でしたか。

まあ、確かに実際これが一番ディアスらしいっちゃあ、らしいですね。
で、先のエントリでちょっともったいない、としてまったのもなんなんで、モンローウォーク編の再評価をしようかなと思ってたら、いいタイミングでTVでCMが


あれ?
曲がWalk This Wayに戻ってる・・・って、ブラッド・ピット!?
検索してみたら10月時点の発表で既にピットのキャスティング発表されてたんですね。そう言えば記事を読んだ記憶があった。けど、ピットねえ、ふーん、程度の印象だったです。

それを切り札のディアスお尻で注目があがっているところにピットをかぶせてくるとは、やってくれるじゃないの。
ピットは既に日本のCMでは結構なじんでいるので、最初からピットだとインパクトは大きくなかったと思います。けど、このタイミングでの展開は男性・女性両方の購買層にアピールするでしょう。いいとこ突いてます、ほんと。


ピット第1弾(インド編?:勝手に名づけました)は、携帯で話ながら街を歩くという基本フォーマットで、最後にアクオス・ワンセグと製品ラインナップを区別してきました。
第2弾以降もこの路線でいんでしょう。ディアスのアメリカに対してピットはアジアシリーズでしょうか。最後に日本にきてくれれば、私が勝手に妄想した演出も、それなりだったことになるかな。基本フォーマット踏襲という期待は当たったし(男優だったけど)

3人目は誰かなあ。日本の女優さんかなあ。

#福田麻由子シリアスバージョン希望・・・・・・いや、それ、若年層を抑えてこそのシェア拡大ですし、それ以外の特定の層の掘り起こしもばっちりですしって、それは特定というゆうよりも特殊だろ、て単なる趣味ですか、そうですか。
 もうちょっと、乗り換え待とうっと。

関連エントリ:その1その2その3